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ビザ取得状況(すべて)

日本時間2024/4/23(火)18:12現在、1086件の回答が登録されています。

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uc東京-面接
Jビザ(初回)
3面接を予約したのが7月8日。込み合っていて、8月10日8時45分が一番近い日でした。
書類は、J1に必要なものは一通り揃え、大学を休学しているので成績証明のほかに休学通知も持って行きました。休学通知は日本語でしか書いてもらえなかったので、自分で訳したものも一緒に提出しました。
当日は朝8時前には並びました。まだ早かったからか人は少なかった。でも、それからすぐにどんどん増えて、朝8時半くらいにはけっこう並んでいました。
並んでいる間に書類の並び順を係員が説明(日本語)。続いて係員がカゴのようなものを配って、そこに携帯電話(電源は切る)と電子機器(電池で動くもの)スプレーなどを入れるよう指示があった。腕時計はOKとのこと。
建物に入ったのが9時少し前。椅子が並んでいるのだが、座れない人も多かった。
名前を呼ばれるまでひたすら座って待つ。冷房が効いていて、最初はいいけれど、後のほうは寒く感じる。
1回目呼ばれたら指紋を採取(日本語)。2回目呼ばれたら領事と面接(英語)。かなりすぐ終わる。時間がかかるのは並んでいる時間と待っている時間のせいだと思う。
窓口は全部で10個あるが、その日開いていたのは4つか5つだった。
終わると紙を1枚渡されて「はいOK。帰っていいです」みたいなことを言われる。
入り口で預けた携帯電話や飲み物を受け取って終了。
8月10日面接で12日に届きました。

注意!!DSー156オンライン入力方式は、間違っていたらそのたびにやり直したほうがいいです。二重線で消して、正しい答えを書いておいても問題なく面接できましたが、消したほうのデータでビザが出来上がってしまいました。重要なことでなければ、二重線で消しておけばいいと思いますが・・・。(2005/8/12(金)17:32)
山下カナダ領事館-面接
Jビザ(更新)
1Jビザの更新(本人J1、妻J2)にカルガリーに行って来ました。4週間前にon lineで予約をとりました。かなり混み合っており、8月上旬では、8月5日9時からの1枠しか空いていませんでした。1枠で夫婦ともに予約出来ました。数日でappointment letter、DS157、158の書類が送られてきました。カナダ入国時には、ビザ更新目的で来たことを伝え、appointment letterを見せると、別のimmigrationの部屋に回され、もう一度目的を聞かれ、その後、観光する予定はあるのか、帰りのticketはあるのか(flightのconfirmationの紙を見せたらOKでした)を確認されました。観光の予定を伝えると、パスポートにvisa、何日まで(flightの日より一日プラスの日)と記載されました。
当日は朝9時の予約で、8時から並んでいましたが、予約のletterを領事館の方が確認し、8時半の予約の方を先に入場させていました。9時の予約の中では、並んだ順でした。ペットボトルを持っていったのですが、securityでひと口飲むよう指示され、それで、持ち込みが出来ました。securityが終わると、blue number card(番号札)を渡されました。最初の窓口で、appointment letter, blue number card, passport, DS-156(web siteでtypeしバーコードのついたもの、写真貼付(AAAでビザ用と頼み撮ってもらっていたもの)),157(手書き、妻は提出せず)、158(手書き)、ボスからの手紙(研究内容(テロと関係しない)、日本の大学から来ていることなど)、収入証明の手紙 (これもボスからの)を渡し、ひとりあたり100米ドルを現金で払いました。質問は、アメリカにrelativeがいるかどうか、家のtelなどを聞かれました。2つ目の窓口で指紋採取、3つ目の窓口では所属先の確認と滞在期間の確認がありました。その後、当日の3時にpassportをとりに来るよう言われました。passportの受け取りは3時とのことでしたが、2時の時点で。すでに10人くらい並んでおりました。3時15分には受け取ることができ、妻の分も合わせ受け取りました。
カルガリー空港で、アメリカ入国の手続きがあり、ビザ更新に来た旨伝え、特に問題無く通してくれました。
何かの参考になればと思い投稿させていただきました。
(2005/8/11(木)7:15)
ジェイからエッチカナダ領事館-面接
Hビザ(初回)
 バンクーバーで無事ビザスタンプゲットです。写真はデジカメで撮り、オンラインでwalmartに申し込み、近くのお店で写真を受け取りました。8枚で2ドルだったかな。書類はオンラインで作成し、それをプリントアウト(カナダ領事館サイトから)し、サインの後、提出しました。当日は電子機器、飲み物の類は持ち込めず、また預かってもくれませんので、持参しないように。
 面接自体はあっというまに終了。簡単な確認事項(専門、職場等)だけです。3時に受け取りですが、2時45分までは並ぶことはできません。持ち物も厳しく制限されますので、引換券だけ持参するように。家族であれば代表者1名だけで家族全部のパスポートを受け取ることができます。
 駐車場なら領事館から道路を挟んだ向かい側にパーキングがあり、忘れ物とかした場合は便利ですね。ダウンタウンには注射場は豊富にあり、領事館周囲なら一日8ドルから12ドルであります。(2005/8/8(月)22:43)
T・P大阪-面接
その他
22005年7月26日にF1ビザを取得しに、大阪領事館へ行ってきました。15時の予約をしていたのですが、5,6分遅刻してしまいました。けれど領事館前の警備のおじさんが大丈夫だと言ってくれて、すぐに中へ入れてくれました。他にも遅刻した人が4,5人いました。中に入って手荷物検査をした後、すぐテーブルがありざっと書類に目を通されました。私は大丈夫でしたが、サインをしていないとかで足止めをくらっている人がいました。その後、別の部屋へ行き面接をしました。窓口4つくらいを使っていて、日本人と外国人の面接官がいました。日本人であることを願ったのですが、外国人の方に呼ばれてしまいました。けれど、すべて日本語で質問してくれました(何年生か。何を勉強するのか。帰国して何をするのか。)英語で答えるべきなのか迷って、日本語も英語も使うと少し笑われました。けれど書類も大丈夫だったので、トータルで1時間しないで領事館を出ることができました。
自宅は北海道ですが、2日で届いたので安心しました。(2005/8/8(月)0:00)
やす東京-面接
Hビザ(初回)
38月2日に面接にいってきました。私と妻、子供二人(3歳、1歳)の分を私と妻の二人でとりに行きました。8時半の予約で8時にいったら、まだほとんど列はならんでいませんでした。大使館の門でパスポートと荷物のチェックを受けて中にはいると、建物に入る前に書類のチェックをうけ、一人一人の書類をそれぞれひとつづつクリアファイルにいれます。パスポートは写真のある面を開いてクリアファイルにいれるように指示されるので、以前の書き込みにもありましたが、あらかじめそうしておいてもよいでしょう。EXPACKは、郵送先が一カ所であれば4人分でも一つでよいです。あと、米国大使館のホームページには10年以内に発行された以前のパスポートが必要とありましたが、結果的には必要ありませんでした。ただ、一応鞄のなかにでも入れておいた方がよいかもしれません。中に入ってしばらくすると、呼ばれた後に指紋をとられ、その20分後に面接でした。面接では私も妻も名前を言っただけで、他に何も聞かれませんでした。前の人も、名前を言っただけのようでした。面接の内容は面接官によるのかもしれません。終わったら、「一週間くらいで届きます」と言われ、実際には3日後の8月5日に届きました。

(2005/8/6(土)14:37)
働くニョーボ東京-面接
Jビザ(初回)
51.面接予約:一ヶ月前に朝9:30の予約を入れました。
2.書類の準備:これまで在学していた学校の住所その他はネットで検索。問題だったのは、過去の職歴(アルバイトを含む)。すでに存在しない職場もいくつかあるので、住所はわからないし電話番号もうろ覚え。いくつかはしょりました。写真はデジカメでとってパソコンで背景色を加工し、家のプリンターで打ち出したもの。Maxvaluの安い写真用紙を使いましたが問題ありませんでした。6月末の大使館ホームページに記載されていた書類をすべて準備し、念のため7月28日(面接前日)にもう一度ホームページを確認すると、なんと「成績証明書」欄に変化が!6月末時点では「成績証明書−−学生のみ」と書かれていましたが、7月末には「成績証明書ーー留学経験者は留学先の成績証明書を添付(正確な文章は忘れた)」と書いてあり、びっくり仰天。「学生のみ」の文言もなし。当然間に合わないので、夫の「ばっくれろ」との指令に従いました。面接では特に指摘はありませんでした。(今でもわからない・・・何なんだろう。)
3.面接当日:9:30の予約でしたが列に並んだのは7:50。すでに40人ぐらいの列ができており、面食らいましたが、8:05には大使館敷地内に入りました。建物の中に入れたのは8:30。携帯やMP3プレーヤーなど、電池で動くものはすべてセキュリティに預けました。娘の持っていたたまごっちも。面接予約のない(できない)8歳の娘も問題なく中に入れました。中では冷房がきつく、隣に座っていたミニスカナマ足のお嬢さんがトリハダ立てていました。面接は9:30。何度も窓口に呼ばれる人がいる一方で(7回も呼ばれていた人がいた)私たちは指紋で一回、面接で一回のみ。聞かれたのは「何を研究するんですか。」「ご主人はどこですか(トイレに行ってました・・・)」「お嬢さんの成長が楽しみですね。」これだけ。夫がトイレから戻ってくる待ち時間を含めても2分ぐらいだったと思います。夫がその場にいたら30秒ぐらいだったかも。
4.最後に:29日に面接に行き、ビザが自宅に届いたのは8月3日でした。書類の所在が心配な人は、エクスパックの番号を控えておかれるといいですね。子連れの人もずいぶんいましたが、みんなおとなしかったです。ここのサイトには本当にお世話になりました。(2005/8/5(金)17:41)
applepie東京-面接
Jビザ(初回)
58時40分ごろアメリカ大使館に到着し、建物の中に入れたのが、9時45分。書類は一人ひとつずつ、それぞれのクリアフォルダーに入れます。そして、パスポート、面接の予約表、156、157、158、その他の書類の順に並べなければないとのことです。建物に入る前に、申請書類一式を提出するため、事前に順番を揃えておくことをお薦めします。その他の書類としては、DS−2019、銀行の残高証明書、SIVIEの証明書、私自身の研究計画書、日本で在籍している大学の上司からの推薦状、受け入れ先の教授からのインビテーションレター(わざわざお願いして書いてもらいました。)夫からの手紙(子供を連れて行くため)、研究業績表です。夫は東京で仕事があるため、私と子供と二人で渡米予定だったため、母子のビザはの許可が下りづらいと考えており、ナーバスになっており、あれこれと準備をしました。この時期外は暑く、長い間列を作って待ちますので、日傘や帽子、扇子などが役立ちます。また、それとは逆に室内は冷房が強く、寒いと聞いていたので、ストールが役立ちました。長袖のシャツにストールを肩にかけていましたが、それでも肌寒い状況でした。椅子の数が足りず、立っている人も多く見られました。10時30頃だと思いますが、指紋をとりました。11時30分頃面接に呼ばれました。優しい女性の方が担当でしたが、質問されたのは、「どんなことを研究するのか?」「現在の大学にはどれくらい勤めているのか」「夫とはまだ結婚しているのか」という3つです。すべて英語にて質問されました。面接は3分程度、ビザは1週間後におりるということでした。大使館を出たのは、11時35分過ぎでした。土日をはさみましたので、結局5日後の午前中にエクスパックにてビザ付きのパスポートが届きました。エクスパックの伝票番号がインタネットで確認できたのは、ビザ到着の前日でした。不安な方はエクスパックの伝票番号を控えておくことをお薦め致します。パスポートといっしょに、156、157、158以外の書類がすべてクリアファイルに入れられて戻ってきましたが、私の研究計画書にはマーカーで、研究目的の部分と、研究終了後、現在在籍している大学に戻る予定があるという部分に線が引かれてありました。面接事態は短いですが、提出書類については事前に目を通しているようです。

(2005/8/2(火)23:08)
banyan東京-面接
その他
5F1ビザ申請です。7月21日木曜日朝8時30分の面接予約。8時15分に並び、10時15分に出てきました。
「あなたのビザ申請は、面接が終了し許可されました。ただし、・・・あなたの渡米予定日に間に合うよう手続きを完了するという保証はできませんので、ビザがお手元に届くまで航空券の購入はお控えください。・・・」という紙1枚を渡され、焦りました。渡航までに1週間無かったのです。
2営業日で発行、ということは、こちらのデータベースでも、大使館のサイトでも書いてあったので、それほど心配することでもなかったのですが、やはり慌てました。面接のときに渡航日が近いことを伝えそびれたため、「パスポートが届かなかったどうしよう!」と、大使館のビザインフォメーションサービスに電話をしました。
ところが何度電話しても、クレジットカードナンバーを入れて、認証?されたあと、オペレータにつながる前にぶつっと電話が切れてしまいます。4〜5度トライしてもだめでしたので、思い余って、大使館の代表番号にかけたところ、たちどころに原因を教えてくれました。「子機でかけていませんか?」!知りませんでした。親機でかけないとだめなのですね!みなさん、どうぞお気をつけて。「子機」だけでなく、プッシュ回線にしていなくても、同様の「ぶつっと切れる」ことになるそうです。
・・・もっとも、この問い合わせ自体、不要だったかもしれません。というのも、こうして無事、オペレータの方とお話できたのですが、名前と生年月日を伝えましたら、これもまた、即、回答がありまして、面接の翌日(金曜日)ビザが下りているが、発送状況は自分で調べてください、とEXPACKの番号を教えてくれました。何のことはない、あらかじめ提出するEXPACKの番号を手元で控えておけばよかったんだ、と思いました。みなさま、ご参考まで・・・
こうして無事、火曜日にEXPACKを受け取れました。何事もなくてよかった・・・とほっとしております。(2005/7/26(火)12:18)
Dr.GIANNI大阪-面接
Jビザ(初回)
22005年6月13日午前10時30分に予約。
9時30分に領事館着、約1時間後に面接。面接時の質問は、日本語で「スタンフォードですか?」「(VISAが切れる)3年後はどうしますか?」の2点。後は「スタンフォードは気候がいいです」「子供さん何の苦労もなく英語完璧に話すようになります」など和やかな会話。「あなたのビザは発行されます」で終わり。
2日後の15日、自宅にエクスパックが到着しました。
注記
DS-156のQ28 Who will pay for your trip? には給料を支払う人(大学やFunding)を記入すること。僕のようにMyselfなどと書いていると、ちょっと頭の弱そうな受付嬢から「銀行預金証明書がないと受付られません!」と言われてしまいます。

(2005/7/25(月)13:59)
エッチからいーメキシコ領事館-面接
その他
私はメキシコのノガレスのアメリカ領事館でH1BからE2に切り替えました。ビザ申請前日に国境近くのホテルに泊まり、翌日メキシコ内の銀行で振込みを済ませてから予約していた朝9時に領事館に出頭しました。領事館に入ってまず指紋記録・写真撮影を済ませ、メキシコ人がビザを申請している人は私の前に15人くらいしかいなかったので面接まで40分くらいしか待ちませんでした。ビザの面接官も笑顔で応対していたので面接では2つの質問に答えたくらいで2分程度で終わりました。私の後はメキシコ人の1人しかいなく、その日のビザはこんなにも少ないのかと思うくらい少なかったです。面接終了時に60ヶ月のビザを発行するので午後2時にパスポートを取りに来るように言われました。2時になって再び出頭しE2ビザが貼られたパスポートを受け取りました。問題もなくスムーズにいきました。



(2005/7/22(金)13:42)
ニイヤ那覇-面接
Jビザ(初回)
サイトに載ってた書類をそろえて、予約をして、申請しに行きました。奨学金で1年留学に行く予定です。スポンサーの方から「財政証明書は、D2019が証明してくれるから要らないよ」と言われていたので用意せずに行ったら、次回財政証明書を持ってくるように言われ、その日は申請できませんでした。1週間後、とりあえず10万円振り込んで財政証明書を持っていくと即OKをもらいました。後から聞いた話では学生さんの場合は、親の財政証明でOKだそうです。(わざわざ自分の口座作って損した・・・) あと、2回目は予約なしで行けました。2回とも夏休み前で超混んでました。面接は2回とも外国人の方でしたが、1回目は日本語でしたが、2回目は思いっきりネイティブなスピードの英語でびっくりでした。ビザは2回目の面接の翌日に帰ってきました。証明写真は領事館内に機械がありましたよ。それと、電子辞書と携帯、飲食物は持ちこめませんでした。飲み物は領事館内で買ったものならOKらしいです。
文が下手でごめんなさい。アメリカに旅立つ皆様、一緒に頑張りましょう!!(2005/7/21(木)19:52)
john東京-面接
その他
3L-1 Branket
7月15日に予約を入れました。
事前にこの掲示板で予約時間は関係ないことを知っていましたので、さっさと列に並びました。

1:朝9:15分に大使館に入り列に並ぶ。
2:ここで、妻も同席でL-2申請したのですが、実は妻の分も面接予約が必要であったことを担当者に言われる。
3:困った顔をしたら、「知らん振りして中に入ってください、面接官に気付かれなければ大丈夫です」と見逃してくれました。
4:DS-157は同伴する妻の分も必要であることを指摘され、列の中で記入。
学校の住所や電話番号は携帯の検索では探しにくいことを身をもって実感。しょうがなく、104で把握。
5:DS157作成で30分かかって担当者に渡す。
6:建物入り口のX線チェックを通過(1時間30分位経過)
7:L-1は2005年3月8日移行Anti-fraud Costとして、ビザ申請代以外に$500追加費用が必要ということで建物の中で支払う(各種カードOK)
8:指紋採取(妻も一緒)
9:Branketでの申請なので、面接はほんの一言で終了。

ここで丁度12時位でした。

金曜面接、海の日連休で木曜に到着ですので、実質3営業日で発行になりました。

(2005/7/21(木)16:45)
たけカナダ領事館-面接
Jビザ(更新)
1バンクーバーにて J1&J2(妻)ビザスタンプ更新(3回目)です。
6/20 にオンラインで予約、最も早くて7/18でした。
提出書類は
・パスポート
・DS-2019(最新のもののみ)
・DS-156(写真は自分のデジカメで撮影しプリント)
・DS-157 (本人のみ、日本で更新する場合は女性も必要らしい)
・DS-158
・ボスのレター(仕事の内容・サラリーについての簡単なもの)
また、この他に申請料金 $100(x 2人)・appointment letter が必要です。
念のため日本の大学の教授からのレター・給与の振り込み記録・古い IAP-66, DS-2019 なども持って行きましたが、結局必要とはならず。

予約は8時でしたが、7時10分に領事館へ行ったら1番乗りでした。
昨年までと違い、建物入り口においてもセキュリティーチェックがありました。
2階で書類の仕分けと申請料金の会計をした後、20階にて指紋採取+面接。
面接では仕事の中身について研究テーマに至るまで説明を求められました。また、今回は妻の学生時代の専攻の話まで聞かれたのでちょっとビックリしました。
面接を終えて領事館を出たのは8時55分でした。

即日発行ということで、2時45分頃にもう一度領事館へ行きました。既に行列は出来ていましたが、この時、書類の入った封筒を持っていた人たちが、どこかへ置いてくるように警備員からかなり激しく言われていました(残念ながら、総じて今回は係員・警備員の高圧的なふるまいが印象に残りました)。食べ物や電子機器、バックなどは持ち込み禁止と明記されていましたが、書類・封筒類まで禁止とは誰も聞いていないことでした。連れのいる人はいいのですが、単身で来ている人は預ける人もいないので相当困ったはずです。それならそうと、ちゃんとどこかに明記すべきだと思いました。

受け取りに関しては、前回までは全員が受け取り終わるのに10分程度しかかからなかったのに、今回は入り口でセキュリティーチェック・窓口でパスポートに貼られた番号シールをはがして引換券に貼るという作業が増えたせいで、ちょうど真ん中くらいに並んでいた私でも受け取りに30分程度かかりました。中には、「まだ出来ていないので、また明日受け取りに来るように」と言われている人もいて、お気の毒でした。
(2005/7/20(水)10:08)
Masaカナダ領事館-面接
Hビザ(初回)
12005年7月12日、モントリオールの領事館での本人H1b初回発行。
受付は朝、パスポート受け取りは同日午後3時から。
かばん、リュック持込不可。特に男性には厳しいようです。持っているとセキュリティチェックのところで、どこかに置いて来いと言われます。
まず100米ドルを支払い、待合所へ。
2時間くらいの間に2回カウンターに呼ばれ、書類提出&面接があります。
私は昨年JからHビザへのステータス変更をしたのですが、two year ruleのwaiverのapproval書類をしっかり確認&一時回収されました(午後パスポートとともに返却されました)。関係する方は、Waiverの書類は面接の際に持って行ったほうが良いと思います。
上司からのsupporting letterがちても役にたち、面接官は手紙を熟読の後、質問はほとんどありませんでした。
(2005/7/19(火)2:05)
2:00のママ東京-面接
Jビザ(更新)
6(13)7月1日(金)に面接、7(木)にEXPACKを受け取りました。
しかし、受領書類を受け取ってびっくり!DS2019のサインが、なぜか私のみ抜けてました!(ビザ更新は、J2の私と娘の二人)
まずは、面接の報告。
10:30の予約で大使館には10:00に到着。入り口で40分程待ち。建物の入り口前で3人ほど待ち、必要書類のクリアファイルを日本人職員(二人いました)に渡しました(この時、うっかり!!娘のDS158がなく、その場で書きました!)
J1の夫がいなかったので、ご主人のパスポートのコピーありますか?と聞かれましたが、なかったので、夫のDS2019のコピーを出しました。(しかし、後で、これがトラブルの元に。)
大使館の中には、携帯電話を預け、すぐ入場できました。入ってびっくり、部屋は満員!でした。11時半以降は人が増えないので。初めは座る椅子が空いていませんでしたが、11時半くらいから空いてきました。)
中に入ってからは45分ほど待ったところで指紋の採取、それから5分ほどで面接となりました。面接は、二年前と比べ、愛想よく、日本語の流暢なアメリカ人で、びっくりしました。
J1の主人がアメリカ滞在だったので(まだビザ更新していない。。。)何かいわれるかと思いましたが、「ご主人は、もうアメリカですか?」とだけ、聞かれました。ずっと、アメリカ。。。とおもいましたが、面倒なので、「はい」とだけ答えたら、「では、一週間後。」と言われ終わりました。
大使館をでたら、ちょうど12時くらいでした。
無事に、ビザスタンプは発行され、7日に到着したのですが、一応、確認!と思って、びっくり!私のDS2019に大使館のサインがなく、なぜか、夫のDS2019のコピー!!にサインがありました。まだ、ビザ更新していないので、彼のDS2019にサインがなかったのでこのようなミスが生じたのだと思いますが。ひどい!!
あわてて、大使館に電話しました。(有料電話)
名前と面接した日を申したところ、「返信用封筒を添えて、ビザスタンプコピーとDS2019を非移民ビザ課に送付してください。」といわれました。
心配だったので、往復ともEXPACKで送付しました。8日に送付して、14日にサインつきで返却されました。
J2のみの面接をされる方は、J1の方のパスポートのコピーを添付されることをおすすめします。
(2005/7/15(金)22:05)
kuu東京-面接
Jビザ(初回)
412日(火)に申請し、15日(金)に受け取りました。渋谷区在住です。面接官には1週間で届くと言われましたが早かったです。夫がJ1、私がJ2でしたが夫が一言質問されただけで終わりました。面接予約枠は夫婦で同じ時間帯にとれませんでしたが、どちらか一方の面接日に一緒に受けてOKとのことでした。ちなみに夫が12日面接、私が20日の予約でしたが夫と同じ12日に二人で受けました。書類は自分たちで作成しました。DS-2019の到着が面接日前日でしたので、それからWebでSEVIS費用を支払いプリントアウトして領収書を持参しましたが問題なかったです。(2005/7/15(金)13:40)
OLVEその他の国の領事館-面接
その他
127月16日ミラノ(イタリア)で、期限切れ6日前のF−1更新。アメリカから電話で面接予約(15ユーロ)。14日ミラノのユースホステルにチェックイン。BNL(Banca Nationale Del Lavoro)銀行で80ユーロ振込みという指定。アメリカ領事館近くのBNL支店に行くが、英語も通じず、ここではやっていないと門前払い。ホステルに戻り英語のできるフロントのイタリア人に 「アメリカ大使館へヴィザ申請費を支払いたい。」という旨の文章をイタリア語で書いてもらい、翌日Duomo近くのもっと大きなBNLに持ってゆく。パスポートの提示の後、今度はスムーズに完了、振込みの領収書を受け取る。郵便局で1.50ユーロの切手購入。パスポートの返却は郵送のため、イタリア国内の住所を記入した切手添付済みの封筒の提出が必要。封筒にはDuomo 近くのAmerican Express オフィス(Tel:39-027-21041、Via Larga 4, Millano, 20122)の住所を記入。アメックスのオフィスは本人の名前と、”Client’s Mail”と明記すれば郵便物の受け取り代行を無料でやってくれる。面接当日は朝10時の予約。1時間半ほど領事館の外で待たされる。入館後、係りの人から書類を入れるフォルダーを渡され、提示書類の簡単なチェックがあった後、番号札を機械から受け取って待合室で順番が来るのを待つ。必要だったのはDS156.157,158、写真、パスポート、I-20、BNLの領収書、返信用封筒のみ。用意した財政証明、成績証明、なぜイタリアで更新しなければいけないかの理由を説明した学部長からの手紙などにも目を通さずに返却。質問は在学している大学の名前、専攻のみ。1時間ほど待った後、領事らしき人から直々に書類の一部を返却される。軽い感じで「アメリカでは普段何をやっているのかね?」と聞かれ、「学生です」と答える。引っ掛けの質問だったのか、「仕事です」などと答えるとアウトになるのだろうか?即日に発行して郵送すると言われたが実際には翌日発送。イタリアの郵便事情の悪さのせいか受け取りまでは12日(8business days)掛かった。Priority mail にしていたらもっと早かったかもしれない。ちなみに日本のパスポートの再発行はミラノでは3週間、ローマの大使館では1両日掛かる。(2005年)
(2005/7/14(木)5:51)
AYA大阪-面接
Jビザ(初回)
26月30日面接。7月2日Expack到着。
私は神奈川在住なのですが、東京の面接予約がDS2019到着時(6月中旬)には8月中旬までいっぱいだったので大阪で面接の予約をしました。前日に大阪入りし、翌30日は10時30分の面接だったので10時に大阪大使館到着するようにホテルを出ました。大阪は始めてだったので、大使館が見つけられるか少し不安でしたが簡単に見つかりました。東京の大使館とは雰囲気が違い守衛の方も親切に対応してくれました。セキュリティーチェックを受け簡単な書類チェックを受けました。この時点で申請書に不備がある人は指摘を受け、簡単な不備であればその場で対応しているようでした。その後、3階へ移動し、再度書類のチェックを受け、過去のパスポート等必要ないものはそこで返却されました。面接までの待ち時間は約10分程度で、領事によって1人ずつ呼ぶ人と4〜5人まとめて呼ぶ人がいるようでした。質問の内容は簡単な英語で「今回のアメリカ滞在の目的は?」「今の仕事内容は?どのくらい働いている?」等で2〜3分程度で「ビザガハッコウサレマス(日本語)」と終わりでした。あまりにあっけなく終わったので終わったのに気づかなかったくらいです。私は過去に留学歴(5年)があり旅行会社でのJ-1研修ということで却下される可能性が高いと周りからは言われていたので、書類にはかなり気を使いました。申請書以外の付属書類は@帰国意思エッセーA現職上司からの推薦状(帰国後再雇用するつもりであるといった内容)B実家の土地・建物の登記簿(将来相続させるという父親の署名付き)C学生時代の成績証明書・TOEIC等です。また、面接でどんな質問にも答えられるように準備もしていきました。実際はほとんど必要なかったですが準備だけは万全で行ってよかったと思います。(2005/7/13(水)1:02)
Ray大阪-面接
Hビザ(初回)
27月7日(木)に大阪にて面接を受けました。
先方からのI-797の到着が遅れたため、途中で予約の変更を行いました。ここで気付いたことは、一旦2週間くらい先まで予約が埋まっても、前日ないし前々日には殆どの日で、再度予約可能になるということです。つまり1、2日前にキャンセルないし予約の変更が発生しているということです。
書類の準備は業者には頼まず、自分で行いました。I-797以外に必須の書類はDS-156、DS-157のみです。ともにdownloadしたところ自分で作成できると判断しました。身近に帰国したばかりの先輩Drがいたので少し手伝ってもらいましたが。I-157はAdobe Illustratorを使って綺麗に作成しました。
当日は午前に博多を新幹線で出発。午後3時の予約でしたが、2時に到着。警備員にそのまま2時に建物の中に入れてもらいました。空港のようなsecurity checkの後、書類のチェックは不備もなく、2時半頃には3階へ上がりました。
ここで一列に並んで、申請書類の提出を待つのですが、なぜかJ visa申請の人の書類は、「留学ビザの方は書類を出して」と言いながら職員が現れて、まとめて持って行ってしまいました。H visa申請の私はそのまま並んで待ちました。申請書類を提出後は30分程待って、3時過ぎに名前を呼ばれました。
指紋を採られ、質問を待ちましたが、一つの質問もなく、日本語で「一週間でビザはでます」の一言でした。ビザ申請にとくに心配はありませんでしたが、拍子抜けの面接でした。
念のため、当日はSupple H、I-129のコピー、employment letterのコピーも持参しましたが、まったく必要ありませんでした。
ビザの貼られたパスポートは土曜日の午後に届きました。
前日から泊まりがけの人もおられるようですが、午後に予約を入れれば、福岡からは日帰りで十分に可能だと思います。私は大阪で夕飯を食べて、ゆっくり博多へ帰ってこれました。留学に何かとお金がかかるときに、書類の作成を依頼するのも、大阪に一泊するのも勿体ない気がします。(2005/7/11(月)8:36)
みつる大阪-面接
Jビザ(初回)
3(続き)(書類作成)
書類作成は必ずしも業者に頼まずとも出来るが、
体裁を美しく、内容的にもミスのないものにするにはかなり時間がかかる。
とてもあの短時間の審査で、書類内容全てにチェックが出来るとは思え
ないが、突っ込まれることを避けるためには書類は完璧であるに
越したことはないと思う。
私は1月末には2019が受領できていた上に出発予定が9月だったので
かなり時間的余裕があった。最初に出身学校の住所等や、過去の職場の
住所など、必要な項目を私と妻、各自で自分のものを書き出した。
妻が、157,158の様なPDFでダウンロードした書類に
コンピューター上で記入できるソフトを、
このサイトで教えて頂いて購入してきたので、
子供たちが幼稚園へ行っている間に、妻が書類を作成。
一旦出来上がった時点で私もチェック。
打ち間違いの訂正や見た目を整えた上で完成版として保存。
156は私の分はもちろん私が作成、妻と子供2人分は妻が作成。
サインは、
156→私のは私、妻のは妻がサイン。
    子供たちのは作成者欄は妻がサイン、
    本人欄は子供の名の後にby motherと記載して妻がサイン。
2019→妻のは妻自身がサインしたが、
     子供たちのは子供の名の後にby fatherと記載して私がサイン。
     子供たちの2019にはJ−1本人がサインする、とどこかで
     読んだ記憶があったので、、、

妻が非常に頑張ってくれたので、領事からは
「Excellent Paper-work!」とほめられた。
ノーミスであったし、一切指摘されることもなかった。
その代わり、妻には大阪駅前のデパートで高いものを買わされた。
まあ、代行業者に頼むよりかは安かったのでよしとしよう。

このサイトのタイトルどおりの、
研究留学する方には面接はおそらくあっけなく終わるだろうが、
それまでの準備が大変だった。
出来る限り時間的余裕を持って準備することをお勧めします。
(2005/7/8(金)8:07)
みつる大阪-面接
Jビザ(初回)
3(続き)再びタクシーを拾い、大阪駅へ戻る。駅前のデパートでお土産を買い、
昼食を取ってホテルに戻り、預けた荷物を引き取る。新大阪駅に移動し、
新幹線で帰宅。
面接は月曜日だったが翌火曜日の午後にはネット上にEXPACKの
番号がアップされ、翌水曜日午後の便でパスポートが届いた、と
職場に妻から連絡が入った。

(提出した書類)
DS−156,157,158及びDS−2019
写真(156の所定の場所に両面テープで貼った)
ビザ料金領収書(156の3枚目裏に両面テープで貼った)
英文の銀行残高証明書
(別に用意しておいた書類)
J終了後雇用します、という教授サイン入りのレター
対患者業務には携わらないことを宣誓したレター
対患者業務には携わらせない、と記載された留学先のレター
給料の出所(ボスが取ってきたNIHグラントから)が記載された
      留学先からのレター

給料の出所レターだけは、面接前に女性職員に渡したが、
その他に用意した書類は出せとも言われなかった。
面接時の「Jが済んだらどうするの?」で帰国意思の確認に代えたと
思われる。
現所属先からは一切給料が出ないためかどうかは分からないが、
ビザには「2年ルールの適用から除外される」と記載してあった。

(2005/7/8(金)8:06)
みつる大阪-面接
Jビザ(初回)
3(続き)10時少し前ぐらいから、4番5番ブースから、領事が申請者を呼び始める。
「○さん、△さん、☆さん、■さん、♪さん、4番へ」といった感じ。
■さんが○さんより早く領事の前に並んだとしても、結局面接は○さん
からであった。
私たちが呼ばれたのは10時10分頃。呼ばれたのは5人グループの一番最後
だったので最後に並ぶ。
最初の3人は順調に進んだのだが、私たちの前、4番目の人で足止め。
最初日本語でいくつか質問をした後、領事の顔色が若干険しくなり、
いきなりネイティブスピードでの面接に切り替わった。
驚くことに、この申請者の方は非常に流暢に英語を話していた。
途中、領事は他の職員を呼んで協議をしていた。
結局、この人はビザ却下となってしまった。
聞いてください、と食い下がってはいたが、領事は一切聞く耳を持たず、
「今回はダメなものはダメです。再申請する権利はあります、
 発給される保障はないけれど。」と言っていた。
どなたかが書いておられたが、領事面接といっても個室で面接するわけでは
ないので、前の人と領事の会話内容なんぞ丸聞こえである。
ちなみにこの人、ホテル研修が目的のJ−1申請だったようだが、
日本でもホテル業についていたようだし、英語もとても流暢だったし、
察するにJ不適格、H−1bで申請せよ、って事ではないだろうか。

目前でのあまりの成り行きに私も妻も少々固まってしまっていたが、
「Next!」と言われて領事の前に進み出ると、うって変わって
にこやかであった。
「何科のオイシャサンですか?」「何の研究をするんですか?」
以上は日本語であり、
「Jが終わったらどうするの?」
「対患者業務には従事しないよね?(No patient care,OK?)」は
英語(非常にゆっくり、聞き取りやすく質問してくれた)で私に質問。
妻には、
「Mrs.○○、上のお子さんの年はいくつ?」(英語で)でおしまい。
私、妻の順で指紋を採取。
「一週間で届きます。Welcome to the United States.」で面接終了。
再び1階へ降り、左肩のシールをはがして携帯電話などを返してもらう。
そして退館。ここで10時半であった。領事館前には長蛇の列であった。
領事館斜め前のスタバで一服。スタバには書類を呆然と見つめる人も
いた。
(2005/7/8(金)8:03)
みつる大阪-面接
Jビザ(初回)
3(続き)整列した1列ずつ、入館。
入ってすぐ空港みたいなセキュリティチェック。
ペットボトルの飲み物はここに来るまでに、玄関前の段階で預けてくる
ことになっているのだがこのセキュリティチェックの
ところまで持ち込んでいた女性はものすごく怒鳴りつけられていた。
ここで、携帯電話やその他電子機器は
領事館預かりとなる。引き取りのためのタグを渡される。
セキュリティをパスしたところで左肩に日付と入館番号が書かれたシールを
貼られる。これは退館まで外してはならない。服の素材によってははがれ
易いのでご注意。
引き続き、女性職員による大まかな書類のチェック。
このチェックに行くまでのところにソファがあるが、座っている人には
「立ちなさい!」とのお叱りがあるので、座ってはならない。
(妊婦や怪我している人などはOKなんだろうが。)
サイン漏れ、写真の背景(ここでも撮り直しを支持される人続出。ちなみに
一旦退館することになるので、当然並びなおし、セキュリティチェックも
再び受けることになる)、書類の不備などをチェック。
私の場合はアメリカ人女性で、チェックした後、4人分の書類をまとめて
1つのクリアフォルダに(むりやり)はさみ、残り3枚のクリアフォルダは
ここで返された。このチェックが済んだ者からエレベーターで3階に上がる。

3階は対して広くもない部屋に窓口が5つ。部屋の両脇にベンチがあった。
まずは窓口前のスペースで並ぶが、ここで女性職員が現れ、ビザの種類を
聞かれたので、「J−1、2」と答えると書類を渡せ、並ばなくていい、と
言われ指示に従う。本来は、このまま並んで向かって左から1〜3番のブースでまず1回目の面接?を受けるようである。この並ぶ並ばないの基準は分からない。おそらく、問題が少ないであろうJ−1やH、Lなどは事務室内部
でチェックし、領事へとまわすのだろう。時間短縮のためだと思われる。
この時点で9時半。
ベンチで待っていると先ほどの女性が現れ、給料の出所について尋ねられた
ので、留学先からのレターをその場で追加提出。「OK,OK」と上機嫌で
戻って行った。
(2005/7/8(金)8:00)
みつる大阪-面接
Jビザ(初回)
3今回J−1及び同行家族3人のJ−2の計4人分の申請。
DS−2019は今年1月に留学先に申請、一ヶ月で手元に届いた。
妻の出生地が間違っていたので、クレームをあげたところ、
3日で妻の修正2019がFedEXでアメリカから届いた。

6月26日(日)に妻と共に大阪に入り、
大阪駅ビル内のホテルグランヴィアに宿泊。
翌朝、ホテルをチェックアウトし、同時に書類以外の全ての荷物をフロント
で預かってもらう。
領事館に行きたいのだが、と尋ねると、行けない距離ではないですが、
といって教えてくれたが、外に出たところ半端でない暑さだったし、
妻もいるので、奮発して?タクシーで行く。1メーターだった。
ちなみに、領事館自体は何の変哲もないただのオフィスビルだが、
目印は建物前道路一車線をふさぐ警察車両である。歩いて行かれる方は
目印にどうぞ。
9時の予約だったが8時にホテルを出て8時10分に到着。列に並んで
22,23番目だった。
警備の方が列を整理しつつ、持ち込み禁止の荷物や面接予約票のチェックを
していた。8時45分ごろ玄関前で1列5,6人ずつくらいに整列し再び待つ。
この時点で予約票を一番手前にしてその他の書類と一緒にクリアフォルダに
挟んでおくように、などの指示。
また、ここで警備の人が各人の写真をチェック。写真に対しては非常に
厳しく、「こんなんじゃダメです!」と皆の目前で大声で指摘。取り直しに
直行する人が多数。白黒写真を撮ってきていた女性には驚いた。当然、
撮り直しである。写真が厳しい、ということは知っていたので、
我が家は家族全員、イタい出費ではあったが写真屋に行き、
「背景は白!」とくどいほど念を押し、試し撮りまでしてもらった上で
撮影しただけあって問題は無しだった。

(2005/7/8(金)7:58)
hanako大阪-面接
Hビザ(更新)
3私は2005年の3月にアメリカ国内でH1b更新のアプルーバルをもらい、6月に日本に帰国した際、ビザスタンプをもらうべく大阪の領事館に面接を受けに行きました。金曜日の朝10時半のアポをとったのですが思ったより交通がスムーズで9時半には領事館についてしまっていました。領事館の隣のコンビニでエクスパック500を購入した後、入り口の外に10人前後の人が並んでいたので、その後ろに並びました。警備のおじさんに「予約時間よりかなり早く来てしまいましたが並んでもいいですか」と訪ねると、「かめへん、かめへん、こんなんは早よ来たもん勝ちや。」と言われ、あっさり中に入れました。中でセキュリティ検査を受けたのですが、飲み物や携帯などは預けなければなりませんでした。そのときに誰かの携帯が鳴って、その人が携帯に出ようとするとセキュリティの人たちに「切ってください!退館させますよ!」とどなられていました。また、私の前の人は申請フォームをプリントしてから手書きで記入してしまったため、領事館の向かいのインターネットカフェに行かされていました。必ずオンラインで記入してからプリントするようにとのことでした。そのあとエレベーターに乗って上の階にに行き、まず日本人の担当者に書類チェックをしてもらった後、アメリカ人(領事?)へと回されました。そこで両手の指紋をとり、英語でアメリカにトータルで何年いるのかだけをきかれました。あっさり手続きが終わり、週末をはさんで翌週水曜日にはビザがおくられてきました。(2005/7/7(木)16:03)
YYカナダ領事館-面接
Jビザ(初回)
7月6日、ケベック領事館でH-1bからJ-1 clinicalに切り替えました(妻のJ-2も同時に申請)。結論から言いますと、領事から何一つ質問はなく、指紋採取後、引換券をもらい、ビザを即日発行していただきました。ただ、難を言いますと、領事館の中は非常に狭く、順番が来るまで吹きさらしの戸外で待たされます。小さいお子様をお連れの方は、季節等を考えたほうがいいかもしれません。
10:00の予約でしたので、9:20頃到着。既に10組が外で待っておりました。まず9:30の予約の人達が一組ずつ順番に中に入り、その後10:00の予約組が中に一組ずつ入ります。10:30の予約の方は早く来ていたにも関わらず、後ろに回されていました。中に入ったのが11時過ぎ。
11:30頃、窓口に呼ばれ、パスポート、DS156, DS157, DS158, ECFMGからのカバーレター、大学からのOffer letterのコピー、200US$を提出しました(妻のDS157は提出していません)。領事との面接後、前述のごとく、同日午後4時にパスポート、DS2019(封筒に入れられます)を受け取りました。
日本とのTieの証明に関しては、何も要求されませんでしたが、厚生労働省からのState of Needのコピーを用意しておりました。また、ECFMGからのカバーレターに、プログラム終了後日本に帰国することが記載されており、それが証明になったのかもしれません。(2005/7/7(木)13:24)
マック東京-面接
その他
26月22日(水)8:15が、面接予約で、1時間早い7:15に大使館に着きました。1時間前でしたが、すでに1人いて、2番目でした。当日は、大雨でしたが、2番目だったので金属探知機前の仮設テントで、雨宿りが出来ました。7:45に、門が開き、面接の部屋に入ったのは8:30頃でした。1番に中に入りましたが、学生の団体が優先され、その人達が終わってから数人後に呼ばれました。このサイトで知っていましたが、呼ばれるのは、並んだ順ではありませんでした。指紋、面接後、1週間で発行されると言われました。大使館を出たのは9:15でしたが、外には傘をさした長い列が並んでいて、大雨の中大変そうでした。ビザは、2日後の24日(金)にエクスパックで、届きました。いくつか気づいた点:1番目に並んでいた人は、学生で付き添いの母親も一緒に門の中に入れました。7月8月は、学生の団体枠が多くあり、そちらの方が優先されるようです。このサイトでは、大変お世話になりました。(2005/7/6(水)1:24)
りもーね東京-面接
Jビザ(初回)
5アメリカの教育機関で1ヶ月間のサマーセミナーに参加するため、J1ビザを取得しました。6月24日(金)に面接、都内の自宅に29日(水)にExpackが届きました。面接予約は11時15分頃でしたが、大使館には8時20分頃到着し、建物の外で1時間(暑い日で大変でした)、中で40分並びました。その後指紋採取があり、さらに10分ほどして面接でした。面接は何も聞かれず、「おつかれさま。1週間くらいでもらえます」とだけ言われました。
実は、プログラムの期間が短いため、当初はビザが不要であると思っていました。プログラムの開始が7月の初めで、実際ビザ取得に向けて動き始めたのが6月に入ってからであったため、時間的に大変追い詰められた中での申請でした。
当然ながら、東京は既に予約が埋まっており、最初は大阪での面接を覚悟していました。しかし、一日に何回も東京の予約状況を確認するうちに、前日などに急に空きがでることを知り、根気よくチェックを続けるうちになんとか6月中の予約を確保することができました。空きがでることはちょくちょくあるので、本当に急いでいらっしゃる方はこまめに確認することをお勧めします。
次に苦労したのはDS2019の取得でした。6月の初めに留学先に依頼し、17日に届いたのですが、なんと姓と名前が逆になっており、急遽再送をお願いしました。22日に何とか入手しましたが、しばらくは精神的にまったく落ち着きませんでした。DS2019の間違いは結構あるようですので、よく確認されたほうがよいと思います。
上記のように時間がなく、かつ、朝から夜まで会社勤めをしながらの状態でしたので、書類関係及びSEVISはすべて地球の歩き方の代行センターにお願いしました。レスポンスが早く、ノウハウも蓄積されており、度々の質問にも丁寧に答えてくださったので本当に助かりました。時間のない方はこういったサービスを利用されるとよいと思います。(2005/7/1(金)23:25)
ぽんぽんその他の国の領事館-面接
Jビザ(更新)
1学会で行く用事があったため、2005年6月16日にスロバキア共和国のブラチスラバにある大使館でビザ更新(本人のみ)。当日書類を持って領事館まで出向いて面接を受けなければならい点は東京や大阪でのビザの申請と同じ。面接予約はWeb上で可。予約は、3ヶ月前から受け付けている。当日持っていった書類はパスポート, DS-156, DS-157, DS-158, 過去すべての分のDS-2019と在籍を証明するボスからの手紙。US$100を現地通貨で支払う必要があり、大使館近くのTatra Bankaで当日朝8時に行って振り込む(辛うじて英語が通じる)。予約時間は10時半だったが、8時半頃行っても問題なかった。(大使館の敷地前の路上にゲートがあり、守衛がビザ面接に来る人のリストと照合していた)その時点で20人くらい並んでいた。入館は1人ずつ指示され、持ち物検査、本人の金属探知(東京と同じ)。検査のあと、受付に行かされ、書類の不備がないかチェックされる。不備があったらその場で返され、不備がなければ番号札を渡され、違う部屋に行かされる。ちなみに米国大使館といっても公用語はスロバキア語なので、呼ばれた番号がわからないのが辛いところ。面接では、何をしているのか、どこにいるのかを聞かれただけ(ここは英語だった)。スロバキア人以外の訪問は珍しいらしく、雑談に花が咲いた。2回目に呼ばれたときに、指紋をスキャンされた。その後30分ほどでDS-2019がホチキスで留められビザスタンプの貼られたパスポートが返ってくる。8時半に大使館に行って、10時過ぎにはビザスタンプが手に入った。極めて迅速なのが魅力。(2005/6/30(木)6:21)
King_show999カナダ領事館-面接
Jビザ(更新)
12005年6月1日、オタワの大使館
での本人J−1更新、妻J-2 から、F-1へのステータスチェンジ。
受付は午前中、パスポート受け取りは同日午後3時から。

書類作成、インタビューなどは、特筆するようなことは無かったです。
所定の書類以外に用意したのは、W-2フォームと、給料の支払い明細くらいです。

キャッシャーの場所がちょっとわかりにくいかもしれません。
パスポートの受け取りは大使館入り口の警備員詰め所ですが、一部手続きが間に合わなかった分はもう一回セキュリティチェックを通って、館内に入ります。

詳しい、ビザ更新の顛末は、こちらのブログに数回に分けて書いてありますので、ご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/king_show999/e/b3b47f544a728b1aa5bdb7fcb7c2fd9d(2005/6/29(水)7:11)

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