研究留学というと、やはりポスドクからアメリカに渡る人が多いわけですが、中には大学院のPhDコースからアメリカに渡ることを考えている方もいらっしゃると思います。今回、UWのPhDコースに在籍するPokitoさんにお願いして、「アメリカのPhDコース(UW編)」を執筆していただきました。
研究留学というと、やはりポスドクからアメリカに渡る人が多いわけですが、中には大学院のPhDコースからアメリカに渡ることを考えている方もいらっしゃると思います。今回、UWのPhDコースに在籍するPokitoさんにお願いして、「アメリカのPhDコース(UW編)」を執筆していただきました。
アメリカのPh.D.プログラムに入学した人のうち、半数近くは研究によるあるいは過度の勉強による苦痛で辞めていくと言う。しかし、私の分野である自然科学系は、退学率が最も低いそうだ(最も高いのは人文学)。これは、理系では共同研究が多いこと、在学中にサラリーをもらえることが反映している。現に、私が所属するワシントン大学医学部 生物分子構造設計学のPh.D.プログラムは5年前に設立され、今では24人院生がいるのだが、現状辞めた人は1人だけである。アメリカ人の彼は私の同級生で、元プロバンドのギターリストだった。大学院での生活はあまりにも厳しく、ストレスが精神的に危険なレベルに達して辞める人が多いそうだが、彼の場合そういうわけではなく、自分のやりたい研究がなかったことが起因し、現在バイオテック会社で働いているそうだ。
うちのプログラムは、生物分子、特に蛋白質、DNA、RNAの構造解析、それから、薬など新しい分子をデザインすることに力を入れている。最近では、私の先輩が、ロドプシンの結晶構造解析をして、サイエンス誌に発表した(ロドプシンは、結晶が大変困難な膜蛋白質の一種である)。構造を見てみると興味深くとても凝った芸術品であった。
さて、Ph.D.の教育課程について、私のプログラムを例に説明したいと思う。もちろん大学、プログラムによって幾分異なるが、基本は一緒だ。私は3年生になったばかりなので、それまでのことを特に詳しく書きたいと思う。
コースワーク
1-2年目は、必修科目と選択科目の単位を大学院レベルの専門のコースから取る。 一学期に1-2クラスずつ取る。
目的は、
宿題や試験、プロジェクトがある。成績も良くなければ、奨学金をもらえなくなるため、勉強はクラスメートと夜遅くまでかかって一緒にやったりする。これらは研究の傍らに行わなければならない。指導教官も大抵理解してくれているが、厳しい教官のもとにいた私のクラスメートは、今学期はコースワークが忙しいと説明しても、「そうか、大変だな。で、研究のデータは?」と言われたらしい。
生物分子構造設計学の必修科目6単位
選択科目12単位(私が取ったもの)
ローテーション
2つから4つのラボを選択し、これらのラボを一学期(3ヶ月)ずつ体験し、プログラムの皆にプレゼンを行い、レポートを提出する。このプログラムのファカルティーは、ワシントン大の生化学、バイオエンジニア、生物構造学、化学、薬剤化学の教授、それから、フレッドハッチンソン癌研究所のメンバー、合計25名だ。私は4つのラボを回ったので、1年かかった。
夏学期: フレッドハッチンソン癌研基礎科学部のPI(Principal Investigator)のもとで、X線結晶解析学を習った。院生が丁寧に指導してくれた。彼が熱心だったので、毎日朝10時ごろから夜の11時ごろまで、時には、午前様で付き合わされ、実験した。私は学部生の時、アポトーシス抑制活性する蛋白質、Bcl-2ファミリーの研究をしていたのだが、ここのラボはその蛋白質の結晶解析を試みており、私はそのために蛋白質の精製に精を出した。
秋学期: ワシントン大化学科の日本人教授のもとで、有機合成を習った。日本のお役所から来たばかりの方に、指導して頂いた。日系人の院生もいて、アメリカにいるのに、日本にいるみたいな気分だった。有機合成は授業以外で初めてやったのだが、上手くいって嬉しかった。合成した分子は、心臓の弁など医療材料に利用し、体への拒絶反応を防ぐという非常に興味深いプロジェクトだった。
冬学期: ワシントン大生物構造学教授のもとで、再びX線結晶解析学を習った。ここで初めて自分で蛋白質を結晶した(今まで誰も結晶してない貴重なもの)。教授にコンピューターでの解析の仕方を教えて頂いた。アメリカでは通常1つのラボに1人だけ教授がいるのだが、ここのラボは、教授が何人もいるヨーロッパ式のラボで、大勢の人がいた。ランチは皆で連れ立って、外へ食べに行ったり、金曜の夜は一緒に飲みやカラオケに行ったり、社交的なラボで楽しかった。
春学期: フレッドハッチンソン癌研臨床部門分子薬理学科のPIのもとで、分子生物学を習った。テクニシャンに指導してもらったが、PIとも研究、実験のことで話し合える機会が多い。私のプロジェクトは、薬のターゲットとなる蛋白質を探し当てる方法を開発することだった。うちのプログラムはほとんどが、X線結晶やNMRで蛋白質の構造解析、またはそれを元にコンピューターで薬を設計している教官で成り立っているのが、ここのラボは、やっていることが一風違っていて面白いと思った。蛋白質と薬に興味はあるが、解析や設計でコンピューターばかり向かっているのは自分には不向きだと思い、ここに入ることに決心した。
指導教官を選択する
1年目の終わりまでに指導教官を決めなければならない。ニューヨークにある大学院に面接に行ったときに、自分がどういう研究をしたいかは入る前に決めて、入学前の夏からすぐに指導教官のもとで研究を始めろと熱心に説得されたことがある。ほかの学生たちが悩んでいる間に、研究に精を出せて有利だからだ。その大学院はローテーション制度がなかった。私はその意見がすっかり気に入って、どこの大学院にいくにしろ、とにかく誰よりも早く自分のラボを決め、研究に没頭するつもりだった。実際、ほとんどの学校は、面接に呼ばれた時点で、自分の面接したい興味のある教授を何人か選べるので、自分の入りたいラボは入学する前に決めていたつもりだった。
生憎ワシントン大はローテーションをしなければならなかった。時間の無駄のようにも思えたが、結局自分の好きなラボをじっくり決められて、後悔することがなく、今のラボに満足している。
RA (Research Assistant)
RAとは、院生が指導教官から研究テーマをいただき、研究活動をすることによって、給料をもらうことである。私は、1年目が終わるころ(6月)に、今の指導教官に決め、RAにしてもらい、仕事を始めた。よく働かないと、サラリーをもらえなくなる場合もあり、また、RAとして教授の従業員であるので、自分の責任を果たさなければいけない。職を失うという恐れがあるから、よく働く。これはアメリカのいい制度だと思う。
サマーバケーション
院生は、学部生と違って別に、サマーバケーションはない。それでも、6月上旬から9月の下旬までの3ヶ月間、大学院では講義がないので、少し余裕ができる。しかし、結局その分研究にエネルギーを集中できるので、忙しいことにかわりはない。ただ院生たちを見ていると、みんな夏休みになると、少しだけ休みを取得し、旅行にでかける。
TA (Teaching Assistant)
うちのプログラムは学部生の指導(ティーチング)が必須になっている。2年生の間に、2学期間教えなければならない。英語が母国語ではない場合、TAになる前に英語の試験を受ける。アメリカの大学の学部を出ていようが、試験は受けなくてはならない。SPEAK Testなら230点以上、TSEなら55点以上必要である。ちなみにこの試験に落ちたら、大学の英語の補習講義を受けて、プレゼンスタイルの英語の試験に合格しなければならない。このクラスを何度も繰り返しとって、やっと合格する人も結構いる。
UWは、「学部生のコースはほとんどTAが教えていて、しかも、英語を話せない外国人留学生のTAが教えている。」と、悪名高いらしい。UWの学部生は、大抵ワシントン州から来ていて、親は、マイクロソフトやボーイングで働いているので、みんなお坊ちゃんお嬢ちゃんである。UWの学長の元には、そういう親から、苦情の電話が相次いで来たらしい。「私の息子が、TAが何を言っているのか分からないと言っている。寄付金は用意するから、外国人留学生が英語で学部の学生たちときちんとコミュニケーションできるようになるように、英語の補習講義を設けてくれ。」と。それから、審査が厳しくなったようだ。事実留学生は大勢いるが、日本人は少ない方だ。中国人がほとんどで、韓国人も多い方だ。しかし、留学生は難関を通って、入学してきた人たちで、頭はいい。入学審査ではまずアメリカ人を選んで、スペースが余ったら、留学生を面接に呼ぶという方針で、かなり不利だと思う。
さて、TAの仕事は
私は、医学部予備課程4年生の生化学のTAを冬学期と春学期にした。講義は教授がまとめて300人くらいにするのだが、TAはクイズセクションといって、30人くらいに分かれたクラスをそれぞれ2つずつ受け持った(TAは5人いた)。留学生のTAにはコンサルタントがつき、しょっちゅう、教え方など相談しに行った。そして、学期に一度は、彼が私の授業を見に来て、生徒の評判を集める。かなり時間を割いて準備し、講義の難しいところをまとめたものをプリントにして配ったりしていたので、なかなか生徒には好評だったようだ。試験前は、クラスが終わってもみんな質問しに来るほどピリピリしていたが、試験後は、リラックスなモードだ。一生懸命説明していても、「その靴新しいね。セールあったの?」などと、質問をされた。
ジェネラル エクザム
3年目の最初、秋学期にある面接試験のことである。合否を判定するのは、この試験のために設けられたコミッティーである。自分で選んだ4人の教授たちで成り立っている。3週間前にリサーチレポートと計画書を提出しなければならない。院生は、能力をコミッティーの前で証明しなければならない。もちろん落ちる可能性もある。
この試験に合格すれば、博士候補生(Doctoral candidate)になれる。が、安心はできない。一般的に、このうち5分の1は、博士号を取得できないと言われている。その場合、修士号だけもらえる。
研究成果をもとに論文作成 ジャーナルに発表
学位論文 (Ph.D. Thesis)
ディフェンス試験 (The Thesis Defense) そして、Ph.D.
この前, うちのプログラム初の卒業生が出た。 彼のディフェンス試験には家族も来ていた。 彼が学位論文に関するセミナーをした後に、コミッティーのメンバーがさまざまな質問で攻撃していた。彼はよくディフェンスしていたと思う。しかし、ある教授が難問による攻撃をし、彼が一生懸命答えたあと、彼の指導教官が、「あの教授の聞きたかったことは、そのことじゃなくて…」って院生のセミナーでお約束の言葉を言い出したとき、すぐにみんなが笑い出したほど、和やかなムードな試験だった。
何年後かの私も、ディフェンス試験を受けることになる。
大学院生は大抵夜遅くまでラボにいる。研究活動にのめり込んでいる。週末も来る人が多い。でも、パーティーなど楽しいことも度々ある。研究ではあまり雑用はやらされない。テクニシャンや秘書の人達がいるからである。セミナー、ラボミーティングでのプレゼンは頻繁にやらなければならない。
リトリート(静養)
毎年、アカデミックイヤーが始まるころに、プログラムにいるすべてのファカルティーと生徒が学校外で集まって、1日中楽しむ。特に新しい生徒の歓迎の意味もある。教授は、プレゼンをし、生徒はポスターセッションで発表する。
アメリカのいいところは、Ph.D.課程の大学院生は授業料すべて免除、その上奨学金(生活費、保険)が出るのが当たり前ということだ(外人でももらえる)。生活費は、少ないって文句言う人が多いけど、一応暮らして行けるくらい出る。サラリーをもらっているわけだから、大学院生といえども、サラリーマンであり、結婚している人も割合多い。
1年目
州立大学では、外国人留学生は州外生扱いされるので州内生よりも、かなり多めの授業料を支払わなければならない。UWの場合$15,064(州内生は$6,526)(下記参照)である。それから保険は$1,338である。これに生活費$17,904がかかる。 これらすべて、1年目はプログラムが院生のスポンサーになってくれる。
しかし、注意したいのは、すべての大学院、プログラムがお金のかかる留学生を面倒みてくれるわけではない。私自身、今のUWのプログラムに来る前は、カリフォルニアにある大学で生理学のPh.D. プログラムに所属していたのだが(事情があって1年で辞めてUWに来た)、そこでは留学生は1年目自費、2年目からは指導教官が払うということだった。そこに受かったとき、他に1年目から援助してくれる大学院にもいくつか受かったが、レベルのことを考えて、あえてそこを選んだのだった。実際のところ、その大学でも留学生もどっかのLabでバイトをしたり、TAをしたり、早めにボスを決めたりして、一年目から援助してもらっている人も結構いた。大学院留学生にはアメリカでの学外の奨学金は、応募できるものが少ないので、皆学内でまかなうか自国で奨学金取ってきている。
私はアメリカの大学を卒業しているのだが、学部生の時、教授や、院に進むアメリカ人、日本人留学生に、「アメリカの大学院は自費で行くところではない、サラリーもらえないなら行く意味がない」って言われていたので、もらえて当たり前という感覚を持っている。 例えば授業料は自分で払うし、奨学金もいらない、って言うと、難関な有名大学院でも少しは甘めに考えてくれるらしいが、それではアメリカの大学院生になるという意味がないような気がする(もちろん外で奨学金を貰って行くのなら別であるが)。
UWの大学院の授業料は以下の通り。
2000年サマーセッションの場合 |
州内生
|
州外生
|
3単位分必要
|
$781
|
$781
|
2000-2001年度アカデミックイヤーの場合 |
州内生
|
州外生
|
1学期(quarter)(10単位分必要)
|
$1,915
|
$4,761
|
秋、冬、春の3学期分
|
$5,745
|
$14,283
|
1年間
|
$6,526
|
$15,064
|
2年目以降
TAのときは、TAをやっているDepartmentが、そして、RAのときは、指導教官がスポンサーになってくれる。留学生でも2年目から、州内生と同じ授業料になる。ボスの負担を少なくする為に、プログラムの秘書の人がpetitionを大学院に出してそうしてくれていた。州外から来たアメリカ人も最初の1年は州外生の授業料だが、2年目からは州内生になり、州内生の授業料になるのと一緒である。
●2000年9月20日:新規掲載