外科手術の周術期予防的抗菌薬投与は、適切に行われれば手術部位感染の予防方法として大変有効な手段である。予防的抗菌薬投与を成功させるには、投与する抗菌薬の選択であるのもさることながら、投与開始のタイミングや術中の追加投与などの更に重要な事項を適正化することが必要となる。
以下に予防的抗菌薬投与の原則、および各外科手術時の周術期予防的抗菌薬投与の詳細についてまとめた。以下ではあくまでこれまでの知見および各国のガイドライン等をもとに、現時点で「一般的と思われるもの」を記載している。よって今後の新しい知見の蓄積によっては十分に変わりうることや、必ずしも日本の実情を反映していない面もある点、また分野によってはその特殊性ゆえに「スタンダード」が存在せず研究途上にあることをご理解頂きたい。
また手術部位感染予防の包括的対策については本文のカバーできる範疇を超えてしまうため、CDCの出している手術部位感染防止ガイドライン[1]等をご参照頂きたい。
周術期予防的抗菌薬投与が議論される時には「どの抗菌薬が最適か」が問題となることが多い。抗菌薬の選択は確かに重要な要素の一つではあるが、実際には他にも重要な要素がある。それは具体的には、予防的抗菌薬投与の手順の問題である。どれだけ有効な抗菌薬を使用しても、適切な投与タイミングおよび投与間隔を守らなければ、期待した予防効果は得られない。
以下にその手順のポイントおよび、実際に予防投与で使用される抗菌薬について解説する。
周術期予防的投与に用いられる抗菌薬は、執刀開始前60分以内に投与を開始し、執刀時に投与を完了しておくべき[2, 3]である。
このタイミングで投与することの理論的根拠としては、手術部位感染を起こす要因で最も重要なのが皮切時の菌の創部への混入およびその後の感染の成立であるため、執刀時に血中の抗菌薬の濃度を最高にしておけば、軟部組織への移行が速やかであるCefazolinなどの組織濃度も最高に保たれ[4]、その結果抗菌活性が最大限に発揮されるためであるとされている。
よって抗菌薬の投与があまりにも早すぎて執刀までに抗菌薬の血中濃度が下がってしまっても意味が無く、また遅すぎてたとえば皮切後に抗菌薬を開始しても術後の手術部位感染のリスクが高くなる。これは既に研究で証明されている[2]。
手術時間が長くなり皮切から時間が経過した場合には、当然ながら組織中の抗菌薬の血中濃度は低下し有効域を下回る。よって理論的には、予防的抗菌薬の効果が損なわれるとされる。これを避けるため抗菌薬の追加投与を行うことが推奨されている[5]。具体的にはCefazolinであれば手術開始後3時間で追加投与を行うべきであるとされている。
従来抗菌薬の予防投与の合計期間はまちまちであり、伝統的には3-5日間の比較的長期間の投与が行われてきた。近年これについては再検討が行われ、その結果抗菌薬の予防投与については24時間以内に投与を終了しても、それ以上継続した場合と比べて効果に差は無いことが証明されてきている[6, 7]。
また予防的抗菌薬投与を長期間にわたって行うと、抗菌薬耐性菌の検出およびそれらの耐性菌による術後感染のリスクがあがることがよく記載されている[8-10]。また、医療経済という観点からは効果が同じであれば投与期間が短い方が医療資源の節約となることは自明である。
こうした背景もあり、欧州や北米では投与期間は24時間以内、しかもその殆どが術中(皮切時と術中の追加投与)のみの投与がひろく行われるという状況となっている。既に発表されているガイドライン群においても同様の立場がとられている[5, 11]。
ただし、注意を要する場合がある。それは手術部位にもともと感染がある場合(虫垂炎、憩室炎、胆嚢炎、腹腔内膿瘍など)の手術や汚染手術(腸管穿孔、貫通創など)であり、このばあいは「予防投与」ではなく「感染に対する治療」が必要であるため、感染症の治癒に必要な期間の投与を必要とする。
以下に現時点で十分な知見の蓄積があり、スタンダードと思われる抗菌薬について記す。日本国内では実際にこれ以外の薬剤で予防投薬で使われているものも多い。しかし知見不足で効用が標準化されていないものについては本文ではあえて記載を行っていない。
術後創部感染の起因菌のうち最も頻度が高くしかも臨床的に問題となるのはS. aureusである。Cefazolinは日本で手に入る抗菌薬の中でこのS. aureusに対して最も抗菌力の高い抗菌薬である。しかもCefazolinは2.5時間というセフェム系抗菌薬の中では非常に長い半減期を有し、静注後の臓器への移行が速やかであり、比較的長時間高い血中濃度を保つことが可能である[4]。欧州、北米では以前よりCefazolinが周術期予防投与に広く使われており、その有効性もこれまで十分に検討されている。
腸管内の嫌気性菌(特にBacteroides fragilis)に暴露する可能性の高い手術、具体的には大腸・直腸の手術等においては、S. aureusばかりでなくBacteroides fragilisをはじめとした腸管内嫌気性菌のカバーが必要である。Cefmetazole もしくはCefotetanはこうした腸管内嫌気性菌に大変有効であるばかりでなく、S. aureusもカバーしている。よって腸管内(特に下部消化管)の嫌気性菌に暴露する手術においてはこれらの第2世代セファロスポリン・セファマイシン系薬剤が予防的抗菌薬として推奨されている[5, 11]。
第3世代セフェム系抗菌薬(ceftazidime, ceftriaxone, cefeperazon/sulbactam, cefotaximeなど)や第4世代セフェム系抗菌薬(cefepime, cefpirome)などは予防的抗菌薬として使用すべきではない。その理由としては(1) これらの抗菌薬はCefazolinと比較してS. aureusに対する抗菌力が明らかに落ちるからであり、また(2) あまりにも抗菌スペクトラムが広すぎるため術後創部感染の原因とはなりがたい菌までカバーしてしまっており、結果として菌交代を起こしMRSAや多剤耐性緑膿菌などの難治性感染症を引き起こす細菌の出現を惹起するからである。
以下に各外科専門科向けの、推奨される周術期予防的抗菌薬投与の具体的な方法を挙げる。ただし冒頭で述べた如く、この内容は今後の新しい知見の蓄積によっては十分に変わりうることや、必ずしも日本の実情を反映していない面もある点、また分野によってはその特殊性ゆえに「スタンダード」が存在せず研究途上にあることをご理解頂きたい。
脳外科手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
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創部感染の起因菌[1] |
S. aureus |
適応 |
全ての症例 |
投与開始時期 |
執刀前60分以内に開始し、執刀開始時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
Cefazolin(セファメジン®)1-2g 1回(副鼻腔や鼻粘膜の操作が無い場合) |
Clindamycin(ダラシン®)600mg 1回(副鼻腔が開くもしくは鼻粘膜等の操作を伴う場合) |
頭頚科・口腔外科手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
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創部感染の起因菌[1] |
嫌気性菌群 |
適応 |
全ての症例 |
投与開始時期 |
執刀前60分以内に開始し、執刀開始時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
Cefazolin(セファメジン®)1-2g 1回 |
注意)ただしこの分野の手術は抗菌薬を使用しても感染のリスクが高く、今後の新たな知見の蓄積が望まれる |
眼科手術時の予防的抗菌薬投与については当科ではまとまった見解を示しえなかったのでここにその旨記載する。一般的にはキノロンの点眼や、Cefazolin(セファメジン®)の静注による投与が行われている。
皮膚科手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
---|---|
創部感染の起因菌[1] |
S. aureus |
適応 |
全ての症例 |
投与開始時期 |
執刀前60分以内に開始し、執刀開始時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
Cefazolin(セファメジン®)1-2g 1回 |
手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
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創部感染の起因菌[1] |
S. aureus |
適応 |
全ての症例 |
投与開始時期 |
執刀前60分以内に開始し、執刀開始時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
Cefazolin(セファメジン®)1-2g 1回 |
乳腺外科手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
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創部感染の起因菌[1] |
S. aureus |
適応 |
全ての症例 |
投与開始時期 |
執刀前60分以内に開始し、執刀開始時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
Cefazolin(セファメジン®)1-2g 1回 |
整形外科手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
---|---|
創部感染の起因菌[1] |
S. aureus |
適応 |
全ての症例 |
投与開始時期 |
執刀前60分以内に開始し、執刀開始時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
Cefazolin(セファメジン®)1-2g 1回 |
呼吸器外科手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
---|---|
創部感染の起因菌[1] |
S. aureus |
適応 |
全ての症例 |
投与開始時期 |
執刀前60分以内に開始し、執刀開始時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
Cefazolin(セファメジン®)1-2g 1回 |
食道外科・胃外科手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
---|---|
創部感染の起因菌[1] |
S. aureus |
適応 |
ハイリスク症例のみ(ただしこのハイリスクのなかには、「がん」が含まれる) |
投与開始時期 |
執刀前60分以内に開始し、執刀開始時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
Cefazolin(セファメジン®)1-2g 1回 |
肝胆膵外科手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
---|---|
創部感染の起因菌[1] |
S. aureus |
適応 |
ハイリスク症例のみ(ただしこのハイリスクのなかには、「がん」が含まれる) |
投与開始時期 |
執刀前60分以内に開始し、執刀開始時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
Cefazolin(セファメジン®)1-2g 1回 |
大腸外科手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
---|---|
創部感染の起因菌[1] |
S. aureus |
適応 |
すべての症例 |
投与開始時期 |
執刀前60分以内に開始し、執刀開始時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
(上記(1)−(3)の有効性の優劣については意見が分かれる[12]) |
泌尿器科手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
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創部感染の起因菌[1] |
腸内細菌 |
適応 |
全ての症例 |
投与開始時期 |
執刀前60分以内に開始し、執刀開始時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
Cefazolin(セファメジン®)1-2g 1回 |
婦人科手術時の周術期予防的抗菌薬投与 | |
---|---|
創部感染の起因菌[1] |
腸内細菌 |
適応 |
全ての症例 |
投与開始時期 |
執刀60分前までに開始し、執刀時までに投与終了 |
追加投与 |
執刀後3時間でも術操作継続中の場合、追加投与を行い、その後も3時間ごとに反復 |
投与期間 |
原則的には術中のみ |
使用する抗菌薬 |
Cefazolin(セファメジン®)1-2g 1回 |
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感染診療の手引き ©2006 Norio Ohmagari.