本の紹介『プレイフル・ラーニング』
本書は、様々なオルタナティブな学びの場づくりの実践を繰り返してきた、同志社大学の上田伸行さんの実践の歴史、彼が影響を受けてきた理論や思想の歴史を東京大学総合教育研究センター中原淳さんが紹介することで、クオリティの高い、革新的な「オルタナティブな学びの場」を作り出すために必要なことを紹介する本です。自分の教育の考え方がそれほど間違ってなかったことが確認できたと共に、ラーニングデザイン研究の理論的背景も学べ、とてもよい本でした。
東京大学総合教育研究センター中原淳による前書きが素晴らしかったので、長いですが、引用します。
「学び」や「教育」の言説空間において、ここ十数年で起こった変化を、3つのワードで端的に表現するとしたら、あなたは、何という用語を選びますか?
(中略)
仮に、僕が、この問いを投げかけられたとしたら、こう答えるかもしれません。それは「オルタナティブ」「インタラクティブ」「アマチュア」の3つのワードです。
「オルタナティブ」とは「既存のものとは別の」という意味であり、「インタラクティブ」とは「双方向性」、そして「アマチュア」とは「教育の非専門家」を示します。
3つのワードを選ぶことで僕が描き出したい、この10年の変化は、こういうことです。
つまり「教育の非専門家(アマチュア)が、自分の専門性や経験を元に、既存の(学校)教育ではない”オルタナティブな学びの場”を組織するようになってきた。そこに志や興味関心を同じくする人々が集い、双方向(インタラクティブ)のコミュニケーションを取りつつ、学ぶようになってきた」ということです。誤解を避けるために断言しておきますが、教育専門家の役割が低下したと言うことではありません。むしろ彼らの専門性はさらに高度なものが求められています。教育の専門家と連携/補完/役割分担するかたちで、教育の非専門家による学びの場の創出が増えてきているのです。
具体的には、組織外で開催される様々な勉強会や交流会。はたまた、キャリアやイノベーションなど、各種のテーマに基づき開催されているワークショップなどが想定できるでしょうか。近年「朝活(早朝に行われる勉強会)」という言葉も生まれました。都市全体を「大学」に見立てた自主的な学習共同体も出現しています。
子供を対象にしたワークショップも全盛期を迎えています。アートや造詣を行うワークショップ、プログラミングを行うワークショップ。様々なものが提唱され、実践されています。
これらの隆盛を支えた要因は、多種多様です。しかし、おそらくインターネットやソーシャルメディアが引き起こした「動員の革命」は、こうしたオルタナティブな学びの空間への周知に一役買っています。
かくして–現在では主に都市部が中心ですが–様々な人々が、自分の専門や経験を活かし、「単位にも学位にもつながらない学びの場」を組織するようになってきました。いわゆる「ワークショックバブル」と呼ばれるような様相を呈しているのが「現在」であると思います。
(中略)
しかし、一方、このバブル状況において、憂慮するべき事態も生まれてきているようにも思います。最大の憂慮すべき事態は、「クオリティが玉石混淆である」という点です。誰もが「教え手」になれるということは、必然的に「クオリティの格差」が生まれることを意味しています。一言で言えば、「それぞれの専門性や経験に根ざした素晴らしい学びの場」が生まれる一方で、「学びを生み出す以前のレベルの場」も存在する、ということです。
学習内容がそもそも不明確なまま、参加者に学びを強制し丸投げして、主催者側が自己陶酔しているパターンもあり得ます。不適切なファシリテーションによって、学習者を必要以上に混乱させていたりする事例は枚挙にいとまがありません。活動を詰め込みすぎて、内省を行う時間がないこともあります。また、あるところで自分が経験した教育手法を絶対化、教条化、固定化し、学習者に息苦しい学習機会を提供している場合もあり得ます。それらは「オルタナティブ」「インタラクティブ」「アマチュア」の3つのワードが必然的に抱えざるを得なかった負の部分です。それら3つの概念は、素晴らしい学びの機会を創出する一方で、他方、闇を生み出しうるものなのです。