ウメサオタダオ展@未来館
アイデアをいかに記録して、忘れ去れるか。それを何らかの形で整理し、アウトプットの際に活用する。知的生産の技術はそこにつきると私は思っている。
ベストセラー『知的生産の技術』で有名な梅棹忠夫氏は、記録の部分では、当初「発見の手帳」と名付けたフィールドノートを愛用し、その後、整理のことを考え、カードを愛用することになった。このカードが、後に商品化された「京大式カード」である。カードを「くる」ことにより、アイデアをまとめ上げ、発想し、たくさんのアウトプットを残した。
梅棹氏は2010年に90歳で亡くなられたが、昨年、彼が初代館長を務めた国立民族学博物館で「ウメサオタダオ展」が開催された。昔のエントリーで書いたように、『知的生産の技術』のファンであり、このイベントにはとても行きたかったのだが、大阪に出張するチャンスがなく、残念に思っていた。幸いなことに、東京お台場の未来館で開催されることになったので、行ってきた。
民俗学者としても一級の学者なので、そのような観点の展示も多いのだが、実際に彼が使ったカードやノート、文房具が展示されており、そちらの方が私の興味の中心。
まずは、フィールドノートの現物。昔のエントリーで、「私は筆者が実際にどんなタイプの手帳を使っていたのかはしらない。でも、現代でこの手帳に一番近いのはmoleskineだと思う。」と書いていたのだが、まさにその通りで、大きさは、モレスキンそのもの。でも、厚さがかなり薄いので、むしろ、野鳥ノートに近いのかも。実際には、特注品であったようだ。
一方、カードに関しては、1枚にどの程度のことを書いていたのか。それが一番知りたかったことだった。本物のカードには触れられないのだが、たくさんのレプリカが置いてあって、自由に、見ることができた。カードに書いてあることは、ごくごく簡単なメモから、文献のメモ、少し長めの文章など様々。ここ数年私が考えていること同じで、「何を書いてもよい」というポリシーで、自由に書いていたようだ。
わたくしは、アイデアを書き留めるメディアとして、カードではなく、モレスキンを愛用しているが、以前はモレスキンを使いこなせなかった。それは、何か、ルールを決めて使わなきゃいけないという強迫観念があったからである。それを、何を書いてもよい。テーマも自由。ページの使い方も自由。見出し語も付けない。長さも自由。というようにしたら、とても使いやすくなった。私の場合、ときどき、モレスキンを読み返して、その中で、重要そうなことは、Evernoteにタイプして残すようにしている。
彼が、あと50年遅く生まれていたら、コンピュータを使ってどんな知的生産技術を開発したであろうか。
実は、梅棹氏が、66歳の時に失明され、2010年に90歳で亡くなられるまで、光を失ったまま過ごされ、その間もたくさんの著作を世に出されていたことを亡くなられたときに知った。光を失った後、どのように知的生産を続けたのだろうか。原稿は、口述筆記でおこなわれていたようである。
ウメサオタダオ展、2月20日までと、残りあとわずかだが、興味ある方は、是非、未来館へ。
「知的生産の技術」
著者:梅棹 忠夫〔著〕、税込価格:¥777、出版:岩波書店、ISBN:4004150930、発行年月:1980【amazon.co.jp】
1969年初出の本だが、今読んでもとても刺激的な名著。
2006年4月にこちらで詳しく紹介しています。