日経メディアルカデットの取材で留学の思い出を話した

日経メディカルカデットで「研究留学」の特集をするとのことで、取材を受けました。

あいかわらず、好き勝手なことをいいました。

10年前に比べて、研究留学する医師が減っているのは、

  • 国立大学の休職制度がなくなって、ポストの安定を求めて、留学しないという選択をする人が増えたこと。
  • 学位より専門医。研究より臨床。という選択肢を選ぶ人が増えたこと。
  • NIHのファンドが厳しくなったこと。

などが、影響しているのでしょう。

「そんな思いをして、研究留学する意味ってあるのでしょうか?」と聞かれたので、

研究で身を立てていく人は、行った方がよいことは間違いない。

そうでない人は、自分の価値判断で行けばよい。留学から帰ったら、もう、研究はやらないと決めて留学する人がいたっていいんじゃないでしょうか。

と、答えました。

「あなたにとって、研究留学はよかったのでしょうか」と、ずばり聞かれたので、

研究者としては、あまり成功とは言えない留学だったけれども、自分の人生には間違いなくプラスでした。

採点したら、60点か70点でしょうね。

と答えました。

そういえば、あまり、他人に話したことはなかったのですが、シアトルに決まる前に、留学先候補になっていたコロンビア大学のラボの話をしました。

私は、その当時、非常に興味をもっていた、AGE(Advanced glycated End product) receptorの研究をしていた、コロンビア大学のD研究室に留学したいと思っていました。手紙を書いたら、次の日くらいに、受け入れOK。お金も払うよと言うFAXが届いて、あまりに、すんなり決まったことに拍子抜けしていました。

しかし、D研究室は、思っていたより大きなラボで、私が割り当てられることになっていた中ボスの評判があんまり芳しくないことを知りました。1998年9月にはニューヨークに行くつもりで、すっかり有頂天になっていましたが、さすがに心配になってきたので、留学予定の4ヶ月前に、やはり、見学行こうと思って、ニューヨークを訪問しました。

中ボスと半日かけて話し合ったのですが、結局、私の方からお断りしたいと申し出ました。と、書けば、大人の対応のように思いますが、実際には、ほとんど英語でどなりあいのような感じの話し合いでした。

そのラボの別のグループにいた日本人の方2人にずいぶんよくしていただきました。その夜に、スタッテンアイランド行きのフェリーのデッキから見たニューヨークの夜景、忘れることはできません。

ホテルに戻り、声を出して泣いたのは、人生、あとにも先にもその時だけでした。

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