宮崎駿監督 大震災への思い語る
多くの事実を冷静に科学的に考えてみれば、センセーショナル過ぎると(日本のマスコミでは)言われている、海外の報道が正確で冷静なのだと、判断せざるを得なくなっています。
asahi.comで読んだ宮崎駿監督の言葉が心にしみたので、紹介しておきます。
「残念なことに、私たちの文明はこの試練に耐えられない。これからどんな文明を作っていくのか、模索を始めなければならないと思う。誰のせいだと言う前に、謙虚な気持ちでこの事態に向き合わねばならない」
この言葉は、スタジオジブリの新作映画「コクリコ坂から」の主題歌発表記者会見での言葉ですが、全文を探していたら、日経の記事を見つけました。長いですが、引用しておきます。
宮崎です。こういう発表会(主題歌発表記者会見)をやるのがいいかどうかという問題があったんですが、あえてやろうと思いました。今このときも埋葬もできないままがれきに埋もれているたくさんの人たちを抱えている国で、しかも今、原子力発電所の事故で国土の一部を失いつつある(可能性もある)国で、私たちはアニメーションを作っているという自覚を持っています。
自分たちはとにかく停電になっても仕事を続けよう。なぜなら郵便配達の人は郵便を配っているし、どんなに渋滞が起こってもバスの運転手はバスを放棄しないで待っていますから、我々も仕事を続けようということで。コンピューター関係は電気が落ちるとちょっと混乱が起こるもんですから、いろいろ体制を考えて夜勤体制にしましたが、絵を描く方は停電になっても窓際でも描けるから、鉛筆と筆のセクションはとにかくこのまま仕事を続けるという体制でやってきました。
それともう一つ。今、この歴史的な事件をはさんで自分たちの作ろうとしている映画がこの時代の変化に耐えられるのかどうか、というのは僕らの最大の関心だったんです。私は企画と脚本しかやっていませんので、映画の出来上がりについてはよく分かりませんが、今この企画を自分たちが作っていたのは間違いではなかったというふうに思っています。
▼一問一答
――「この企画が間違っていない」と思った理由は。
流行(はや)っているものはやらない、というのがジブリの誇りでした。しかし、あまりにも自分たちを取り巻く(世界)、自分たちの生活そのものもよどんできて、不安だけが(途切れなく流れる)通奏低音になっているような時代にいったい何を作るのかということを自分たちは問われているんだと思います。そういう意味でこのヒロインの海という少女の願いや少年の雄々しく生きようという気持ちはこれからの時代にも絶対必要なものだと思います。
残念なことに私たちの文明はこの試練に耐えられない。だからこれからどういう形の文明を作っていくか、ということの模索を始めなければならないと思います。誰のせいだとかあいつのせいだとか言う前に、敬虔(けいけん)な気持ちでその事態に向き合わなければならないと思います。今、何十万の人間が寒さに震え、飢えに震え、それから放射能の前線に立っているレスキューや自衛隊員や職員のことを思うと、その犠牲に対して感謝と……、誇らしく思います。文明論を軽々しく語る時ではない、敬虔で謙虚な気持ちでいなければならないと思いますが、この映画がこの時代に多くの人たちに何かの支えになってくれたらうれしいなと思っています。
――震災が今後の作品にどう影響を与えるか。
実はもう次の自分の作品の準備に入ってまして、その作品を全く変更する必要がないというので胸を張ってやれると思ってます。まぁ、この年(70歳)ですから思ったように手は動きませんが、この企画を進めていこうと思います。ただ、物質的な条件やいろいろな条件がこれから変化するでしょうから、前と同じような感じで映画を作り続けることができるかどうかは、まだ私たちは分かりません。それでもそれに向かって進んでいこうと思っています。
――被災地の人たちへの支援の予定はあるか。
具体的にもうすでにプロデューサーを通して、できる限りのことはやっています。それからいろいろな計画もありますが、それはプロデューサーの方から機会があれば報告すればいいと思います。一番必要なところに一番必要なものを届けるしかありませんから。今、感傷的にただお金を出せばいいということではないと堅実な方法を選ぼうと思っています。もうすでに始めています。
――監督は以前の映画「崖の上のポニョ」で水没で被災した人々を、住民が大漁旗を掲げた船で助けに行くシーンを描いた。どんなときでも明るく頑張ってほしいとの希望をこめたと語っていたが、今、改めてこういう状況(震災や津波)が起きて、どんな思いか。
私たちの島は、繰り返し繰り返し地震と火山と台風と津波に襲われてきた島です。それでも実はこの島は、非常に自然の豊かな恵まれた国だと思います。多くの困難や苦しみがあっても、もう一度、もっとより美しい島にしていく努力の甲斐のある土地だと思います。今は本当に、埋葬されない人をいっぱい抱えながら、あまり立派なことは言いたくありませんが、この自然現象の中で国を作ってきたわけですから、そのこと自体を僕らは絶望したりする必要はない。むしろ「プロメテウスの火」(原子力)をどうコントロールできるのか。本当に国土の一部を喪失しつつある事態になりつつありますから、この事態にどう対応できるのかが問われている。私はもうこの年ですから、この土地から一歩もひかないと決めています。
風評被害とか、乳幼児の水については本当に配慮しなきゃいけないのに、僕らと同じような年の人が水のビンを買いに並ぶなんてもってのほかだと思います。人民の愚かさもマスコミは糾弾してほしいと思います。僕がいつもパンを買うパン屋のおやじは、地震の翌日からいつもより早く起きてパンを焼いてくれて、スーパーに並ぶ人たちがパンが買えないという日でも、僕はパンを買うことができました。このパン屋のおやじや、それからいつも差し入れにお団子やお菓子を買う店も作り続けてくれている。だから僕らも映画を作り続けようと思います。
今、僕は文明論的に高所からいろんなことは語りたくない。死者を悼むところにいたいと思います。