東大でのサンデル教授の白熱教室:学生の発言をコントロールする秘訣

日曜日に、サンデル教授が東大でおこなった白熱教室のNHKでの放送があった。

今までは、あまり真剣に見ていなかったのだが、今回、どのように学生の発言をコントロールしているのだろうと言う視点で見た。

サンデル教授の講義では、学生の発言している時間の方が、サンデル教授が話している時間より長い。表向きは学生が自由闊達に意見を述べているように見えるが、もちろん、ただ単に、好き勝手にしゃべらせていたのでは授業にならない。議論をコントロールして授業として成立させているのである。

「さくら」を入れれば、コントロールは簡単だが、そんなことはしていないだろう。学生は、どんなことを言うのか予測できないわけだから、どうやってコントロールするのだろうか。今回、東大の講義を見ていて、少しヒントが得られたので、私なりの解釈を披露したい。

1回発言して終わりという学生もいるが、中には何回も発言を求められる学生がいる。それは、単におもしろいことを言っているという観点で、選んでいるわけではない。サンデル教授は、問いかけに対して、対立する代表的な意見をあらかじめ用意して、その代表的な意見に近い意見を述べた学生には、そのまま、残ってもらって、何回かの発言の機会を与えているように見える。サンデル教授は、そのような代表的な意見を述べる学生を通して、問題に対する代表的な考え方を紹介するのである。

今回の東大での講義では、そのようなルールを日本の学生が理解していない可能性があると考えたのか、「君をリバタリアンと考えていいのかね」「君は自分を功利主義者と思うかね」と言って、学生に明示的にラベルを貼り付けていた。

このディベートは、学生同士の議論ではない。学生同士が、歩み寄るための議論でもない。両極端の意見を代弁してもらって、両者の主張の強みと弱みを参加者に知らしめて、参加者は、どこに自分の立ち位置を置くかということを認識させているのである。

したがって、代表的な意見を述べている学生として指名された学生には、守らなければいけないルールがある。そのように指名された学生は、たとえ、本意でなくても、2回目以降の発言は、1回目の発言を踏襲した発言をしなければならない。そこを、「たしかに、A君の言うこともわかりますが、、」などと、歩み寄ってはいけないのである。日本人の議論は、歩み寄ることを美徳とするが、ここではルール違反である。功利主義者として指名された学生は、功利主義の観点からの意見を述べ続けなければいけない。

ケンジという学生は、コミュニタリアンという立場を取ったので、それ以降の意見も、コミュニタリアンとして述べなければいけなくなった。途中、ひよりたくなりそうな場面も見えたが、彼はこの講義のルールを理解していた。

このように、学生が自由闊達に意見を述べているように見せて、実は、思っていたとおりに、コントロールすることは、簡単なことではない。サンデル教授の技量は、さすがである。

ちょっと気になったこと2つ。

学生「その質問はすごく難しいですね」。サンデル教授「難しい議論をしているんだ。だから聞いてるんだ」と苦笑していた。

今回は同時通訳でおこなわれていたが、英語と日本語で意見を述べる学生がいた。印象としては、日本語で意見を述べている学生の方が出来がよいように思った。

本の方は結構骨がある。この本を読んでから、講義を見ると、何倍も理解が高まる。

これからの「正義」の話をしよう」マイケル・サンデル著

 

最近、NHKの放送をまとめた、DVDが販売された。

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