2010.05.28

iPadを手に入れた

iPhoneがあり、いつも鞄の中に、Macbook Airが入っている私には、どう考えてもiPadは必要ない。

でも、iPadはAppleの新しいハードウェアと考えないで、Appleの新しいサービスと考えなければならない。サービスは、ものを見ていても、その良さはわからないから、実際に使ってみるしかない。

しかも、どうせ、「もう予約したんでしょ」っていろんな人に言われるのは目に見えている。実際に、この2週間、毎日、誰かに言われた。

それでも、ほんと、買うつもりはなかったのです。

たまたま、予約開始日に、朝3時過ぎに目が覚めてしまい、インターネット見てたら、iPadの予約が開始されていたので、寝ぼけ眼でポチッとしてしまったのです。サービスを体験するだけだからと思って、WIFIモデルの16G、一番安いやつです。飽きたら、だれかに譲ればよいと思って。

そのあと、なぜか、予約確認のメールも来ないし、出荷準備のメールもこないし、寝ぼけていて、ポチッとし忘れたかな、まぁ、それなら、それでいいくらいに思っていたのです。でも、一応、Apple ストアのサイトを見たら、ちゃんと、5月28日にお届けって、なっていたので、急に、ワクワクしてきました。

無事、5月28日に受け取ることができて、開封。

購入した付属品は、

  • iPad dock
  • iPad Camera Connection Kit
  • iPad Dock Connector
  • iPad Case

ケースに入れると、dockにささらないし、ケースから出すのはかなり大変なので、dockはいらなかったかも。

ソフトは、iPhoneのもの以外で購入したのは、

  • Keynote
  • iBooks
  • i文庫HD
  • GoodReader for iPad
  • 産経新聞HD
  • Bangumi HD

あたり。

何に使うか?とりあえず、授業をiPadでやってみようと思っています。

2010.05.27

本の紹介「研究者の英語術」

「ハーバードでも通用した研究者の英語術」

著者:島岡 要、出版社:羊土社 (2010-03)、ASIN:4758108404【amazon.co.jp】【bk1】【目次

先日、ボストンで著者の島岡さんとお話をさせていただいたときに、もうすぐ2冊目の本が出るからと、教えていただいていておりました。帰国後、さっそく、献本いただいていたのですが、私の怠慢で、2ヶ月近く放置してしまいました。すいません。

研究者の英語術とは何か?限られた時間の中で、優先順位をつけるとすれば、ライティングの力であると、割り切ったことが、最大の特徴です。「流暢な英語が話せるようになる」という希望を捨てる勇気、と「機能的な英文が書けるようになる」という希望を持つ勇気、この言葉がこの本の理念を表しています。

しかし、本当に、英語が話せなくてもよいかといえば、もちろん、答えはノーなのです。でも、英語というと、どうしても英会話に重点を置きがちな日本人研究者に、もっと、きちんとした英語で論文やグラントを書かないと、研究者としては一人前にならないぞ伝えています。そう言う観点で書かれた英語本はこれまでなかったですね。

実は、ライティングに関して言うと、どのように書くかより、何を書くかすら日本人研究者にはわからないことが多いのです。

私が大学院生の時に、指導教授から、英語論文の査読をやってみろと言われたことがあります。自分の論文を書いたことがなかった私にとっては、論文にコメントをすることができても、査読ってどうやって書くの?何を書くの?まったくわかりませんでした。表立って、論文の査読はこう書きなさいとエディターが指定することはありませんが、実は、暗黙のフォーマットがあるのです。そのことに気づいたのは、自分の論文をいくつか発表し、論文の査読をいただいてからでした。たとえば、Major Revisionであれば、はじめに、その論文の要点をまとめたあと、どのような部分が評価できるかを書きます。その研究価値は認めつつ、以下の問題(concernという言葉の使い方もこのとき知りました)があるとして、その問題を箇条書きでリストアップする。多くの査読者は、そのようなフォーマットで書きます。

残念ながら、本書には、査読の書き方という章はありませんが、論文を投稿する際のカバーレター、推薦状、CVといった、滅多に見る機会のない、研究者に必須の文章の貴重な文例がたくさん載っています。

それだけで、この本は、自分で独立するつもりのある研究者には必須の英語本であると言えます。

ロジックの通った英語を書く。これについては、科学のわかるネイティブに一つ一つ添削してもらって、トレーニングするのがいいのでしょうね。なかなか、そう言う恵まれた環境にいる方は少ないと思いますが。


2010.05.09

リーダーシップ

内田樹先生のリーダーシップ論を読んで、なるほどと感心する。

子どもは、できるだけ快適な感覚入力だけしかない、低刺激環境で育てる方がいい、というのは私の経験則である。

たしかにそうやって育てると「ぼや~っとした」子どもにはなるだろうけれど、危機回避能力は身に着く。

そういう人は無意識のうちに「もっともリスクの少ない道」を過たず選択するので、人々はしだいに「この人についてゆけば安心」ということを学習する。

戦場におけるもっとも信頼される指揮官は「銃弾が当たらない人」である。その人のあとにぴったりついてゆけば、弾も飛んでこないし、地雷も踏まないし、道に迷って敵軍のど真ん中に出ることもない。そういうことが経験的に知られている将校のあとに、兵士たちはかたまってついてゆくようになる。その一挙手一投足を注視するようになる。

それがその語の本当の意味での「リーダーシップ」であると私は思う。

なるほど、いつの間にか、この人についていけばうまく行くはずだと思わせてしまうようなものが、リーダーシップというわけですね。

逆に言うと、そういうリーダーシップは子供の時から養われているわけで、リーダーシップ論みたいなものを勉強して、それを涵養するということはできないということですね。

ちまたにあふれるリーダーシップというのを聞くと、いつも、暑苦しく感じていた私にとっては、痛快なリーダーシップ論でした。

2010.05.05

JビザからHビザへのステータスの変更の体験談

嶋崎幸生さんから、JビザからHビザへのステータスの変更を行い、日本へ一時帰国してHビザスタンプを取得してされた体験談をいただいたので掲載します。

Hビザの申請(ステータスの変更)

私の場合、ボストン大学医学部で3年間、研究室の移動に伴ってマサチューセッツ州立大学医学部でさらに2年間、いずれもJビザ(2年間の帰国義務なし)で研究を続けていました。2009年5月14日にJ-1プログラムが終了するにもかかわらず、ビザのステータス変更の申請準備が遅れていました。2008年の12月より、まずPIと、アメリカでの研究生活のゴール、プロジェクトの実現の見通し、滞在期間延長の必要性などを少し時間をかけて話し合い、JビザからHビザへの変更についてPIから承諾を得ました。以後、当大学でのHビザ申請の準備は、以下の様になりました。

ステップ1: H-1Bビザの申請資格の学内審査のために、学部学科(私の場合はDepartment of Medicine)の担当者と私で、雇用期間、給与額、雇用主のサインなどが記入された学内用の申請書を作成してISSO(International Students and Scholars Office)に提出・・・・・・2009年1月30日

ステップ2: H-1BビザのスポンサーなどについてISSOが書類を審査、パスすれば、労働局(DOL)とともに一般賃金との比較などを行い、ISSOから労働局へLCA(Labor Condition Application)を提出・・・・・・2009年2月2日

ステップ3: LCAが認定されるまでの間、移民局(USCIS)へHビザを申請するのに必要な書類を、学部学科と申請者のそれぞれで作成、チェックリストとともにすべての書類をISSOへ提出・・・・・・2009年2月6日(学部学科)、3月10日(申請者)
• 学部学科より: PIからのH-1B Support Letter; Processing Fee($320); “Anti-fraud” Fee($500)
• 申請者より: 英文の学位証明書; CV; I-94とパスポートおよびDS-2019のコピー; H-4申請書類(Form I-539、家族それぞれのI-94とパスポートおよびDS-2019のコピー、英文の婚姻証明書と出生証明書、J-2の労働許可証のコピー); Form I-539のfiling fee($300)

ステップ4: H-1Bビザ申請書(Form I-129他)およびH-4ビザ申請書(Form I-539他)をISSOから移民局へ提出・・・・・・2009年3月11日

最終的に、私と家族全員のI-797A(Approval Notice of H-1B or H-4)がISSOへ郵送されてきたのは、2009年4月6日でした(移民局は3月12日に受領、3月27日に通知、と記載されています)。

準備はしていたのですが、私の場合、申請前に外部機関からのCredential Evaluation(日本での最高学位に対する信認評価)を受けず、また、Premium Processing Fee($1000)を支払わなかったのは、ISSOのビザ担当者との面談を経て、そのアドバイスに従ったからです。当大学のHビザ申請者の95%は学位の認定書を提出しておらず、その費用を節約しており、仮に移民局から申請後にリクエストがあっても、それは審査の終了後ではなく、審査の途中であるためその時点で行えばよい、というものでした。Premium Processing については、申請書類の提出後一ヶ月ほど待ってI-797Aの通知がなければ、その時点で申請する、という方針を立てました(当時は、リーマン・ショックからまだ数ヶ月しか経っておらず、急速に景気が後退、アメリカ企業による外国人の雇用申請が極端に減っており、移民局によるH-1Bの審査プロセスが非常に迅速になっているらしい、という情報に基づいたものでした)。

振り返って見ると、出身大学・大学院から英文の学位証明書を発行していただくのに、日本に住む両親を通じて申請しなければならなかったため、入手まで一ヶ月ほどかかってしまいました。私の場合、ビザの申請時に学位の認定書を添付しないため、MDとPhDの両方の学位証明書、および学部と大学院の両方の成績証明書も移民局に提出しました。みなさんが体験談でアドバイスされている様に、とにかく英文の学位証明書をできるだけ早く入手され、以後、余裕を持って申請準備を進められる事をお勧めします。

Hビザスタンプの申請(アメリカ大使館での面接)

私が研究室で長期休暇を取りやすく、また娘たちが日本の公立小学校に体験入学のできる7月に、3週間ほど帰国する予定を立てました。私たちは九州出身ですが、福岡や大阪・神戸領事館ではなく、面接の予約枠の多い東京大使館で面接を受ける事に決めました。4月中はまだ7月の面接のオンライン予約ができず、5月17日にようやく7月8日の予約を取ることができました。ビザスタンプ取得目的の一時帰国についてISSOに連絡した際には、多くのtravel adviceをいただき、updated employment letterを人事課に準備してもらう様に勧められ、その様にしました。I-797Aはもちろんですが、I-129(コピー)も忘れないようにしました。

私と家族にとって5年ぶりの帰国で、ボストンからカナダ・トロント経由での長時間のフライトや時差による疲れは予想通りでしたが、日本での蒸し暑さ(まだ梅雨が明けていませんでした)にはかなり閉口しました。空港内でも、(省エネのためか)エアコンの温度が高めに設定されている様に感じました。面接日までわざと2日半ほど空けていましたので、大使館に近い赤坂のホテルに宿泊して私も家族も休息を取りつつ、カラー写真の撮影(現在は、新規のDS-160オンライン申請書にカラー写真をアップロードする事が必要で、さらにプリントされたカラー写真を面接時に持参する事が必要な様です)、ゆうちょ銀行での申請料金の支払い、エスパック500(現在は、レターパック500)の購入などを行いました。当日は午前9時の予約で、入館して2時間近く待ちましたが、家族全員が領事の方と少しずつ質疑応答を行った後、「あなたのビザ申請は、面接が終了して許可されました」という紙を渡され、午前11時ごろ終了しました。

アメリカ出国・入国審査

I-797AがISSOへ郵送されてきた直後にISSOの税務担当者と面談がありました。当大学ではI-797Aを個人で保管する様になっており、またI-797Aの右下にあるアップデートされたI-94(出入国カード)を切り離して、すでにパスポートにあるオリジナルのI-94に重ねてホチキスで止めておく様に説明されました。さらに、「出国時に」アップデートもオリジナルもI-94カードは両方ともパスポートから回収される、そして「入国時」に新しいI-94が発行される、との事でした。私たちは、ボストンの空港のチェックイン・カウンターで、これから出国してトロントに向かうため、エア・カナダのスタッフに説明してI-94を両方とも回収してもらいました。トロントでは、カナダの入国審査しかありませんでした。

帰りは成田からトロントに入って一泊したのですが、翌朝のトロント-ボストン便にチェックインする前に新しいI-94に必要事項を記入、そのあと移民審査官から少し質問を受け、H-1B(またはH-4)ステータスである事とその有効期限をそれぞれのI-94に記載してもらいました。ただ、その若い女性の審査官には(確認のために一度席をはずして戻って来てから)、「I-797AのアップデートされたI-94は、再入国までずっと保持しておくべきだった」と諭されました。

長くなりましたが、以上がHビザに関する私と私の家族の体験談です。これから申請される方々にとって、少しでもお役に立つことがありましたら幸いです。

2010.05.04

大阪領事館でビザ面接の体験談

研究留学ネットのWhat's new!も、ほとんど研究留学ネタを流さず、すっかり、管理人の戯れ言blogと化していますがいかがお過ごしでしょうか。うれしいことに、久しぶりに研究留学ネタが書けます。

EPICEさんから、大阪領事館でビザ面接の体験談をいただきましたので掲載します。

2010年3月10日 10:30の予約で大阪領事館でビザ面接を受けました。
面接を受けるにあたり、こちらのサイトの体験談を読まして頂き、大変参考になりました。
今後の方の参考になればと思い投稿させて頂きます。

ビザ面接当日の事について触れさせて頂きます。

こちらのサイトを拝見してみなさん30分前までには着いていらっしゃるようでしたので、道に迷ったりした場合の事も考えて、早めに着いてお茶でも飲もうと思い、9:00に梅田に到着する予定で家を出ました。領事館のサイトの地図をプリントアウトして持参しました。梅田から徒歩で15分と記載されていましたが、実際は10分位で到着しました。地図通り行けば迷うことなくとても分りやすかったので、9:10前後には到着してしまいましたので隣にある「なかおかコーヒー」という喫茶店でお茶してました(コーヒー500円とちょっと高めですが一番近いです・・・)。外を見ているとエクスパックを持って歩いている人がちらほら見えたので、みなさんビザ面接かなと思い眺めていました。

ちょっと早いかなと思ったのですが9:40には到着しました。

入口の前で数人の男性がいて、一人の方からまず携帯電話の電源をオフにしパスポートと予約票を出すように言われました(予約時間を確認しただけで返してくれます)。そこでエクスパックの差出人控え(番号が書いてあるシール)を取って保管しておくように言われました。それですぐに中に入れてくれました。入るとすぐ上着を脱ぎ、電子辞書と携帯電話を預け、番号札をもらい、空港の検査みたいなのを通りました。その後「VISA」と書かれた名札を胸につけられ3階に行って下さいと指示されました。

皆さん守衛さん(?)という感じのおじさまでした。関西弁の気さくな感じの方ばかりでした。
エレベーターで3階に着くと、ビザの種類によって2列に並ぶようになっていました。私はJビザなので、左の列の学生ビザ・その他という方に並びました。

3人の日本人の方が受付されていました。

小さいテレビのようなものがあり、ディズニーワールドみたいな画像が流れていました。

そこで持参書類を提出するのですが、左と右の受付の男性はにこやかで特に質問などもしていないのに、真ん中の女性の受付の方は、色々と質問をしていました。(「何の仕事するの?」「それはどういう意味?具体的に」とかズバズバ結構きつい言い方でした。私の前の人は書類不備でその女性から書き直すように言われ、横にあるテーブルで書類を広げていました)「できれば真ん中あたりたくないな・・・」と思っていたら、私は順番で真ん中の女性の方でした。宝くじ売り場のような透明の板越しで提出しました。

案の上「何をしにアメリカに行くの?」「どの部署でトレーニングを受けるの?」「いつから?」「何?聞こえない」「期間は?」と。面接かと思う位の質問攻めでした。ちょっと顔が引きつりました。緊張しました。

そこで私が指摘された事は、「DS2009のコピーを控えているか?」(「持ってない」と言ったらコピーをして渡して下さりました)とエクスパックの品名欄に「書類」と記載して下さいという事でした。

そこで書類を返却され、2階へ階段で降りるように指示されました。
また同じように列に並び、透明の板越しに面接となります。
黒人の男性と白人の男性の2人が面接官でした。
私は面接というからには部屋に入って対座でやりとりがあるのかと勝手に想像していたので、みんなの前で公開でやっているのでびっくりしました。
でもその方が前の人のやりとりも分るし、緊張しないので良いかもとおもいました。
空港の入国審査のような感じのものをご想像頂くと良いと思います。
様子を見ていると、白人の面接官の方はほとんど日本語でやりとりをしていました。終始笑顔で「コンニチハ」から始まってやり取りはほとんど日本語でした。
私の前の人が「3years」と言っても「3ネンネ」と日本語でリピートしてそれしか聞かれていなかったので驚きました。
思ったより簡単に終わるかもと期待していたのですが、もう一人の黒人の面接官の方は声が小さかったので近くに行くまで分りませんでしたが、笑顔もなく英語のみの面接でした。それに結構つっこんだ質問もしている感じでした。私は心の中で「白人の面接官の方がいいな・・・」と思っていたのですが、順番で黒人の面接官の方になりました。

「Good Morning」と挨拶から始まり、まず両手の指紋を取りました。
それからいくつか質問をしながら書類を見て、PCに入力して、また書類を見て、質問してというような感じでした。
透明の板越しの会話はやりにくく感じました。
面接官の方の声が少し小さく2回も聞き返してしまいました。
私の言っている事も聞こえなかったようで、3回同じ事を言いました。何度も聞き返されるので間違えた事言ってるかと思いあせりました。マイクを使ってもう一度と指示されました。
私への質問の内容は
「アメリカへ行く目的」
「トレーニングの内容」
「どのセクションでトレーニングを受けるか」
「期間」
「サラリーはもらうか」
「金額はいくらか」
「ホストカンパニーの名前は」(ここで3回会社名を答えました)
「その会社は何をしている会社か」
笑顔がないので緊張しました。
もう質問これ以上しないで・・・と思っていました。
私への質問はこれはビザおりないかなとか面接しながら心配しましたが、話している最中にハンコを押しているのが見えて、ほっとしました。
その後サッと白い紙を渡されました。
「ビザが許可されました。内容を確認して下さい」という内容の紙でした。
それで「明日発送します」と英語で言われて終了でした。
おそらく、文脈やグラマーはめちゃくちゃな英語だったと思いますが、単語をつないで何とか答えたという感じでした。

エージェントの方から黙るのが一番よくないと言われていたので、それでけはしないように心がけました。

たまに意地悪な質問もありえるとも聞いていましたので覚悟していましたが、そんなに困る質問はなかったです。

どちらかといえば、書類提出の際の女性とのやりとりが一番緊張しました。
面接官によって当たり外れが少しある気もしますが、バックグラウンドや書類がきちんとろっていれば心配はないと思います。
私はエージェントの方から、化粧は最小限に、服もできればスーツで襟つきのものをと言われていたので(アメリカに行って男を作ると思われたらダメらしいです・・・)、まさに就職面接のような格好で行きましたが、みなさん女性はブーツだったり普段着で来てる人の方が多かったです。
デニムの方もいました。逆に私の方が浮いてるかなと思う位でした。
10:30の面接予約で面接終了が10:20でした!
トータルで40分ちょっとで終わりました。

早く行きすぎたせいもあったのですが、面接予約時間より早く終わるとは、思ったよりかなるスピーディでした。

こちらを拝見してかなり待つとの事で覚悟し文庫本も持って行っていたのですが、必要ありませんでした。

2010.05.03

村上春樹のおすすめ本

今年のGWは天気がいいですね。

私は、朝早起きしてテニス。そのあと、大学か自宅で、申請書書き。夜は本を読みまくるというような過ごし方をしています。連休明けにでかい審査があるので、申請書書きは手を抜けないのですが、少しだけ、生活のペースをスローにすることが出来ています。

1Q84がたいそう気に入ったので、村上春樹に詳しい友人に、次の1冊は何にしたらよいかと聞いてみました。ちなみに、私自身は、「1Q84」「ノルウェイの森」しか読んでいません。

気軽に聞いたのですが、相当詳細な「村上春樹のおすすめ本」を教えてもらったので、皆さんにも公開。

客観的には『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が彼の最高傑作とみなされていると思います。確かに良い小説です。

村上春樹の小説は短編、中編、長編の三本たてです。それぞれから選びました。

短編集では『東京奇譚集』か『中国行きのスロウ・ボート』小説を選ぶとすると、『神の子どもたちはみな踊る』に収録の”タイランド”が好きです。

中編では『1973年のピンボール 』か『国境の南、太陽の西

長編では、『ダンス・ダンス・ダンス』か『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』 を推しておきます。

とりあえず全部買って、かたっぱしから読んでいます。

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