本の紹介「やるべきことが見えてくる 研究者の仕事術」

やるべきことが見えてくる 研究者の仕事術
著者:島岡要、出版社:羊土社【amazon.co.jp】【目次

著者の島岡要氏は、麻酔科の臨床医から基礎医学者に転身し、現在、ハーバード大学医学部准教授として、自分のラボを運営されています。2年ほど前から始められた「ハーバード大学医学部留学・独立日記」というブログを始められ、私も愛読しています。また、2008年1月から10月まで、実験医学誌上で連載された「研究者のためのプロフェッショナル根性論」も人気エッセイでした。その連載記事などを元に一冊の本にまとめられたのが、本書です。

本書は、従来、ビジネスパーソンに向けて書かれた様々な仕事術や理論を、ビジネスパーソンとは全く異なる職種である科学者に、モディファイしながら、アプライするというあらたな試みをした一冊です。

よき時代の研究者のロールモデルは、興味のあることをただひたすら研究するような仙人のような学問人であったと思いますが、そのようなロールモデルが通用しない時代になってきました。ポストがないまま、流動性だけが高まるという、いびつな日本の研究者社会においては、多くの人の将来が不透明になっています。そのような時代においては、研究者という職業にビジネスセンスを取り入れざるを得なくなっており、著者の試みは非常に当を得ているといえます。本書は研究者ビジネス書としては、おそらくはじめての著作であると同時に、マスターピースとも言える一冊だと言えます。

内容は多岐にわたっており、引用されている書籍や、言葉、理論なども膨大なものなので、一部しか紹介できませんが、マイクロマーケティングの考え方をもとに、まずは、小さな自分の世界でトップに立つことを目指すという考え方、スムーズな研究者の「変化」の取り扱い術[ズーム]plus、GTD(Get Things Done)による時間管理術など、これまでビジネス書で語られてきた、理論や戦略を研究者に当てはめていく様子はとても興味深いものです。

ビジネスパーソンの仕事術を研究者の仕事術にあてはめるという著者の試みたアプローチに対し、当然考えられる批判は、サイエンスはビジネスではないという批判でしょう。ビジネスとサイエンスのもっとも大きな違いは、サイエンスには創造性が必要だということだと思います。では、サイエンスにおける創造性とはなにか、という議論になります。2000年頃に、免疫学会がウェブ上で「創造性とは何か」という議論をおこなっていましたが、その際の議論も一点に収束はしていないように、非常に難しい問題です。ひとつの意見として、著者はロバート・K・メルトンの言葉を引用しています。それによれば、

創造性とは誰も出来ないような斬新な考え方をする、他人とは質的に異なる「ユニークな能力」ではなく、必然的に起ころうとしている発見を誰よりも早くつかみ取る「効率のよさ」のこと

としています。つまり、本書で提唱してきた効率的に仕事をできる方法を身につけることが、研究者において創造性を高めることと矛盾しない、と著者は結論したいのだと思います。

「好きな分野より、得意な分野を選択すべき」「人生には二種類ある:失敗も成功もしない人生と、失敗もするが成功もするる人生がある」という言葉は、若い人、岐路に立った人たちに、力を与えるものです。これらの言葉を引用されているのは、おそらく著者自身の体験談に基づくものと想像されますが、残念ながら、個人の体験談にはあまり深入りされていません。自己啓発書は所詮、一個人の与太話であるということで、本書では体験談はあえて避けられたのかもしれません。一方で、「日本人中年男性研究者のための英語力向上作戦」では、ご自身の体験をいきいきと述べられており、とても興味深いチャプターになっています。

本書の帯に推薦の言葉を書いているのが「ウェブ進化論」で有名な梅田望夫さんであることからも、本書は科学者だけではなく、知的生産をおこなうすべての人に読んでもらいたい1冊です。

最後に、私の心に強く響いた前書きの一節を引用します。

今までの蓄えをうまく使ってあとは楽して逃げ切りたいという、私が“ヘタレ”と呼んでいるマインドセットを、私自身を含め多くの人が心に片隅に持っているのではないでしょうか。

(中略)

研究者がプロフェッショナル/エキスパートを目指す過程では、仕事の最大の報酬とは人間的な成長なのです。成長にともないより大きな仕事に取り組むチャンスが巡ってくるので、決して楽になることはありません。楽しいことも増えますが、同時に苦しいことも増えるのです。これがプロフェッショナル/エキスパートとして働き・生きることの醍醐味なのです。自分自身がそうであったように、環境の変化に直面して足がすくみ、“ヘタレ”な選択をしそうになったときに、本書で紹介した先人の言葉が勇気ある選択をする助けになれば幸いです。

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