「知的生産の技術」
「知的生産の技術」という本を読んでみました。これもGTDに触発されたものです。
「知的生産の技術」
著者:梅棹 忠夫〔著〕、税込価格:¥777、出版:岩波書店、ISBN:4004150930、発行年月:1980【bk1】【amazon.co.jp】【目次】
本書の初出は1969年。当時は大ブームをおこしたそうで、その後もロングセラーを続けています。
37年前の本で、現代の知的生産の技術の強力なツールであるパソコンが抜けていますが、時間を超えて、耳を傾けるべき内容に満ちています。特に、前半部分の「発見の手帳」「カードを使った知的生産の技術」に関しては大いなる刺激を受けました。内容を一部紹介します。
ダ・ヴィンチには奇妙なくせがあった。ポケットに手帳を持っていて、なんでもかでも、それに書き込むのである。ダ・ヴィンチの精神に魅せられ、筆者は「手帳」に「発見」を書き留めた。毎日の経験の中で、何かの意味で、これは面白いとおもった現象を記述するのである。あるいは、自分の着想を記録するのである。筆者は、この手帳に、自分で、「発見の手帳」という名を付けていた。
「発見」はまったく突然にやって来るものである。それをその場でとらえて、即刻記録するのであるから、その記録の装置としての手帳は、いつでも身に付けていなければならない。これが、「発見の手帳」についての、第一原則である。大きさに関しては、新書判のたけを少し短くしたくらいの大きさで落ち着いた。また、机がなくてもかけるという条件を満たすために、表紙には、思い切って厚いボール紙を使った。書く際には、一ページ一項目という原則を確立し、ページの上覧に、そのページの内容をひと目でしらせる表題を付けた。
私は筆者が実際にどんなタイプの手帳を使っていたのかはしらない。でも、現代でこの手帳に一番近いのはmoleskineだと思う。その後、筆者はノートの欠点を克服するためノートを捨てて、カードに書くことにした。
ノートの欠点は、ページが固定されていて、かいた内容の順序が変更できないということである。ノートは、内容の保存には適していても、整理には不適当である。 そのため、筆者はノートをやめて、すべてカードにかくことにした。 カードは小さいものはよくなく、思い切って大きくしたほうがよい。筆者はB6判をつかっていた。罫線の間隔を十分に広くとって、ほどほどに厚い紙をつかって「クル」ことがやりやすくした。 こうして、自分で設計したものを、図書館用品の専門店に注文してつくらせた。このカードは、大変評判が良くて、希望者がたくさんあったので、まとめて大量につくって、あちこちに分譲した。その後いつの間にか、わたしの設計したこの型のカードがずいぶん普及してしまい、逆にわたしに、「カードはこれがいい」と勧めてくれる人も出てきた。ついにわたしは、文房具店の店先で、わたしのカードが商品として売られているのを発見した。その商品には、「京大型カード」という名がつけてあった。
カードについてよくある誤解は、カードは記憶のための道具だ、というかんがえである。英語学習の単語カードなどからの連想だろうが、これは実は、完全に逆なのである。カードにかくのは、そのことを忘れるためである。忘れても構わないように、カードに書くのである。標語風にいえば「記憶するかわりに記録する」のである。いわば「忘却の装置」である。カードにかいてしまったら、安心して忘れていいのである。