「若い研究者へ遺す 小さな小さなクローディン発見物語 」読みました
昨日紹介した「小さな小さなクローディン発見物語」読みました。
すばらしい本でした。
一節を引用します。
研究の世界では、セレンディピティという言葉がよく使われます。(中略)ともすると、この言葉は「犬も歩けば棒に当たる」と同義語のように使われる時があります。これは間違っています。確かに歩き回っていると大きな宝にぶつかることはきわめて稀にはあるかもしれません。でも、滅多にはありません。さらには、ぶつかっても気づかない人もいます。(中略)本当の意味でセレンディピティを持ち合わせている人は、皆が気づかない宝がすぐそばに落ちているのに気づくのです。
それでは、研究者にはどのような能力が要求されるのでしょう?もちろん、歩き回らなければ宝の近くを偶然通りかかることもないので、動き回ること(すなわちじっけん科学では手を動かして実験すること)は必須条件です。でも、どうして大部分の人が気づかないのに、ある特定の人だけ気づくのでしょう。ある人だけに「見える」、僕は、これはその人の「視力」の差だといつも言います。
最後の月田先生ご本人の「謝辞」、そして、月田早智子先生の「おわりに」は涙なくして読めません。